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The Review of Life Studies Vol.7 (December 2016):1-19 フランクル『夜と霧』における人生の意味のコペルニクス的転回について 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。(ドイツ語が正しく出ます) → PDFダウンロード 1 はじめに ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の第二段階(第二章)の末尾において、人生の意味の「コペルニクス的転回」が語られる(1)。すなわち、霜山徳爾の旧訳を用いれば、「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」というのである(2)。この箇所は人生の意味についてのフランクルの考え方が凝縮されたものとして有名であるが、それが何を意味しているのかを正確に捉えるのは簡
1 The Review of Life Studies Vol.8 (February 2017):1-14 「恋愛工学」はなぜ危険なのか 女性蔑視と愛の砂漠 森岡正博* 1 はじめに 2016年5月、東京大学の学生と大学院生らが、女子学生への強制わいせ つ事件を起こし、逮捕された。2016年9月、慶應義塾大学の学生らが女子 学生に強い酒を飲ませ集団性的暴行を行なったと週刊誌が報道した。大学は学 生らに無期停学などの処分を行なった。2016年9月、千葉大学の学生らが 女性に酒を飲ませて集団で性的暴行を行なったとして、集団強姦致傷容疑で逮 捕された。立て続けに起きたこれらの事件は、大学関係者に大きな衝撃を与え ている。 『週刊文春』2016年12月22日号は、千葉大学の学生である増田峰登 被告についての記事を掲載している( 「千葉大集団強姦主犯が私淑した外資系ナ ンパ師」 (131~132
電子出版 kinokopress.com ホーム > 森岡正博全集 > 中編作品集 > このページ 森岡正博全集第一巻 一四~一八頁 kinokopress.com (一九八六年頃) 現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について 森岡正博 縦書きで読みやすい画面閲覧用PDFファイルはこちら 全集版の頁数付き印刷用PDFはこちら 1 現代この場所で私たちが直面している問題を、根本にかえって、深く考えるのが、哲学である。ところが、大学や書店で出会う「哲学」は、決してそのようなものではない。現代日本では、哲学は、非常につまらないものへと縮減しているのである。 哲学者に向かって、あなたの哲学は何ですかと決して質問してはならない、というジョークがあるが、この話が意味するものをここでもう一度考え直してみよう。 哲学的問題に自分の頭と自分のことばで取り組み、「哲学」する人、これが本来の哲学者で
1 大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室レポート 2012年度 http://www.lifestudies.org/jp/univ/report.htm 日本のアニメとニューエイジとの関連についての一考察 :アニメの中に生きるニューエイジ的思想 木村長永 1 はじめに――日本のアニメの特異性 日本における「アニメ」という言葉は、英語においては“Animation”と表記される。これ には「生気(を与えること) 」という意味も含まれており、その語源は「生命」や「魂」を 表すラテン語の“Anima”である。 では近年しばしば話題になる日本のアニメは、人々にどのような「生気」を与えている のだろうか。2011 年から 2012 年の春にかけて、アニメ業界においてある複数のアニメが 話題を呼んだ。 『魔法少女まどか☆マギカ』 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』 『輪るピングド
『生命倫理のフロンティア』(粟屋剛・金森修編 シリーズ生命倫理学第20巻 第6章)、2013年、95~114頁 まるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利 :脳死の子どもから見えてくる「生命の哲学」 森岡正博 * PDFダウンロード *【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。 はじめに 本章では、脳死臓器移植を素材としながら、人間にはまるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利があるということを述べていきたい。私がこの考え方をはじめて公にしたのは、臓器移植法改正についての国会審議が大詰めを迎えていた2009年7月7日の参議院厚生労働委員会の参考人発言においてであった。いまから振り返ってみれば、この考え方は、20年以上脳死臓器移植に関わってきた哲学者としての私の思索が凝縮されたものだった。以下の考察で、このテーマを掘り下げて考えてみたい。なお、本章で焦点となるのは、
Philosophical study of life, death, and nature Home > Papers and Essays > This page Why is It Hard for Us to Accept Moral Bioenhancement? : Comment on Savulescu’s Argument Masahiro Morioka -- Ethics for the Future of Life: Proceedings of the 2012 Uehiro-Carnegie-Oxford Ethics Conference, (2013):97-108. Download [PDF] or [PDF] Abstract: In my paper I would like to criticize Julian Savulescu and his
The Review of Life Studies Vol.3 (March 2013):1-9 「生まれてくること」は望ましいのか デイヴィッド・ベネターの『生まれてこなければよかった』について 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 筆者は、吉本陵と共同執筆した2009年の論文「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」において、人類には将来世代を産出する義務があるかという問題、すなわち、人類は本当に次世代を産出し続けなければならないのか、次世代産出をやめて静かに滅びていくことは許されないのかという問題を哲学的に検討した。その問題意識は、ハンス・ヨーナスの「将来世代への責任」論に触発されて浮上したものであった。ヨーナスは、人類には将来世代への
表1 ところで、これらの議論の背後には、そもそも「××でなければよかった」「××しなければよかった」とはいったいどういうことか、という問題が潜んでいるように思われる。その点について少しだけ考えてみたい。 たとえば、私があるときに子どもと一緒に外出したのだが、その子が道で車にはねられて死んでしまった、という出来事があったとする。そのときに、私は「あのときに子どもと一緒に外出しなければよかった」と思い、後悔するであろう。そしてその後悔は一生続くかもしれない。では、「あのとき子どもと一緒に外出しなければよかった」とは、どういう意味なのだろうか。それは、外出の直前の時点にまで時間を巻き戻して、その時点から自分の人生を新たにやり直し、子どもと外出をしないという選択をしたあとに引き続いて起きるであろう人生でもって、その後の現実の人生をすっかり置き換えてしまいたい、という意味であるように思われる。 自分
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2008年度) ベースの持つ魅力 :どうしてベーシストはベースを弾くのか? 和田恵理子 はじめに 自分の周りの音楽をやっていない人などと話をする時、「ベースをやっている。」と言うと、「どうしてあえて地味なベースなの?」と聞かれることが多い。このことより、“ベースは地味な存在”という印象が一般的に強いということを感じた。バンドの中で、ボーカルやギターやキーボードやホーンがフロントで目立ち、バックではドラムが目立って、ベースはあまり目立たなく、地味だと思われている。低音楽器なので、確かに音はあまり目立たない。その人が出す音、ジャンルにおいては、ほとんど前面に出ることのないベース音もある。ステージ上において、大体は端にいて、照明も半分かかるくらいだけであったり、またほとんど影になったりすることもある。スポットもほとんどない。こういった面
『人間科学:大阪府立大学紀要』6 2011年2月 173~212頁 誕生肯定とは何か 生命の哲学の構築に向けて(3) 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 本論文は、「誕生肯定」の概念について哲学的に考察するものである。「誕生肯定」とは、私が2007年の論文「生命学とは何か」において導入した概念である。発表から4年が経過したが、その間の思索において、この概念が「生命の哲学」の根幹をなし得ることが明瞭になってきたので、ここでその全体像を記しておくことにする。全体の見取り図を与えることを優先するので、細部においては未消化の議論が多くあるが、それらの点については次回の課題にしたいと考えている。私はいま、「誕生肯定」の概念を土台として、その上に「生命の哲学」を構築することを目指
『人間科学:大阪府立大学紀要』7 2012年2月 93~108頁 幸福感の操作と人間の尊厳 生命の哲学の構築に向けて(4) 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 幸福は人生の最大の目標のひとつであると考えられてきた。しかし近年の科学技術の発達によって、幸福が人間の脳のはたらきと密接に関連している可能性が見えてきた。もし脳操作によって幸福を巧妙にコントロールすることができるようになったらどうだろうか(1)。私たちは脳操作によって得られた幸福を、真の幸福だとみなすことができるだろうか。本論文では、幸福感の操作について考察を行ない、「幸福」と「人間の尊厳」の関係を明らかにしていきたい。 先に進む前に、幸福の概念について簡単に整理しておこう。哲学者たちは幸福を「主観的幸福」と「
The Review of Life Studies Vol.1 (October 2011):13-28 「草食系男子」の現象学的考察 森岡正博* *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 「草食系男子」という言葉の誕生 「草食系男子(草食男子)」という言葉は、2008年から2009年にかけて流行語となった。新聞、テレビ、雑誌、インターネットなどでさかんに取り上げられ、人々の日常会話にもたびたび登場した。流行語になるにつれ、当初の意味合いは多様化していき、人々は様々に異なった意味を付与しはじめた。2009年12月に、「新語流行語大賞」(ユーキャン主催)のトップ10のひとつとして「草食男子」が選ばれた。2010年になるとこの言葉は普通名詞化し、2011年現在、人々はこの言葉にさほど興味を示して
大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート 対人場面における「曖昧」について考える 伊藤喬範 第1章 はじめに 私は、人から「言っていることが曖昧で何が言いたいのかよくわからない」と言われることがある。この場合、「曖昧」とは「はっきりしない」とか「優柔不断」とか「どっちつかず」とか、どちらかといえばネガティブな意味で使われていると思われる。自分は竹を割ったような性格ではなく、話をしていると結局自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたり言葉を濁したりすることがよくあり、「自分は曖昧だ」と自覚している。しかし、自分の場合、いつも相手の質問や話に対して何も考えていないから上手く言葉に出来ないというわけではない(時にはそういうこともあるが)。色々と考えてみた結果、答えが1つにまとまらなかったり、答えをはっきり言うことが躊躇われたりして、結局曖昧な答え方をしてしまうこともあるのである
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2010年度) 岡崎京子『pink』の作品研究 :私はなぜ『pink』に魅力を感じるのか 梁 知美 はじめに 私が岡崎京子という漫画家を初めて知ったのは、一昨年のことだったと思う。大学1回生の時に受けていた授業の中で、岡崎京子の『ヘルタースケルター』という漫画が取り上げられたことが始まりだった。全身整形をして美しくなった主人公が、自分の美貌が崩れていくことによって破滅に追い込まれていくというストーリーだと紹介された。今となっては、なぜこの漫画がその授業で取り上げられていたのか思い出せないのだけれど、私はこのときに紹介されたストーリーが気になって、本屋に行った時はその漫画がないかいつも気にするようになった。しかし、岡崎京子の漫画はどこの本屋にでもあるわけではなく、私自身、作家の名前もあやふやにしか覚えていなかったので、なかなかこの漫
『人間科学:大阪府立大学紀要』5 2010年3月 91~121頁 パーソンとペルソナ パーソン論再考 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 私はこれまでに何度か「パーソン論」についての批判的検討を行なってきた。最初にパーソン論の言説に触れたのは、マイケル・トゥーリーの1972年論文「中絶と新生児殺し」(Abortion and Infanticide 邦訳:嬰児は人格を持つか [1] )を翻訳したときであった。その後、『生命学への招待』(1988年)の第9章において、トゥーリーの「パーソン論」を批判し、生存する権利がない存在者をなぜ殺してよいことになるのかと疑問を呈した。さらに『生命学に何ができるか』(2001年)の第2章において、ピーター・シンガーとトリストラム・エン
・ホモソーシャルとは? ここまで、フロムの考えを下に愛について述べてきたが、更にホモソーシャルというものについて考察していきたい。ホモソーシャルとは、イヴ・セジウィックによって提唱され、同性間における社会的絆のことを指している。その特徴として、女性嫌悪や、同性愛に対する恐怖や、嫌悪が挙げられる。それは体育会系などでよく見られ、例えば野球漫画を見ると、ホモソーシャルな関係を描いているものが多い。野球部は一般的に男性だけの世界で、女性はマネージャーとしてしかその世界に入ることができない。野球漫画の多くが、主人公の野球部のエースとそのライバル、女性マネージャーとが三角関係に陥って、その女性をめぐる戦いをくりひろげながら男2人の友情を描いているが、まさにそれはホモソーシャルである。一見すると男2人が1人の女性を取り合っているように見えるが、あくまでも男同士の絆を描くために女性を利用しているだけで、
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 『女たちの21世紀』No.9 1996年12月 47-48頁 レイプと買春について 森岡正博 最近、二冊の本をたてつづけに読んだ。松井やより『女たちがつくるアジア』(岩波新書)とザンダー、ヨール『一九四五年・ベルリン解放の真実』(現代書館)の二つである。 正直言って、めいっぱい気が滅入った。松井のレポートのなかには、日本やアジアの男たちが、アジアの女たちを人身売買し、買春し、レイプするケースがこれでもかとばかりに報告されている。ザンダーらのレポートでは、ベルリンに侵攻してナチの悪夢から人々を救ったロシア兵たちが、実は次々とベルリンの女たちをレイプしていて、その数はベルリンで一一万人、ドイツ全体で二〇〇万人となるということである。瓦礫のなかに女を連れ出して、銃で
論文 『人間科学:大阪府立大学紀要』2 2007年3月 65-95頁 生延長(life extension)の哲学と生命倫理学 :主要文献の論点整理および検討 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます → PDFダウンロード 1 問題の所在 英語圏の生命倫理学では、21世紀に入って、新たなトピックスが盛んに議論されるようになった。エンハンスメント(能力増強)、ニューロエシックス(脳神経倫理学)などがその代表例であるが、本論文で検討するライフエクステンション(生延長)もまたその一例である。これらの諸問題は、狭義の医療倫理学の域を超えており、また将来の技術予測を前提としたSF的倫理学の趣をもっている。これらの話題が真剣に論じられている理由としては、近年の生命科学および生命科学技術の急速な発展がある。以前ならば単なるSFとしてしか認識されなかった問題群に、大きな現実味
エッセイ まるごと成長し、まるごと死んでいく「自然の権利」 :参議院スピーチandNHK教育テレビ「視点論点」スピーチ 森岡正博 【解説】 以下の文章は、臓器移植法改正に際して、参議院厚生労働委員会にて参考人発言したときの発言議事録と、改正成立後にNHK教育テレビにて発言したときの手元原稿の全文である。ともに様々な反響があった。資料としてここに公開しておきたい。参議院では改正前ということもあり、全体にわたって発言している。NHKでは改正後ということもあり、子どもの脳死に絞って詳述している。 【追記】 このテーマを2013年に論文にして発表した。 > 森岡正博「まるごと成長しまるごと死んでいく自然の権利 :脳死の子どもから見えてくる「生命の哲学」」 (1) 2009年7月7日・第171回国会・参議院厚生労働委員会にて (参議院議事録より) 森岡と申します。よろしくお願いします。 私は、二十年
大阪府立大学人間社会学部人間科学科森岡研究室学生レポート (2007年度) 東京ディズニーランド :リピーター率が高い理由 菊井亜妃子 0.はじめに 来場者数に伸び悩み、多くの遊園地・テーマパークが閉園に追い込まれる時代。そんな時代の流れに逆らうかのように、どんどん来場者数を伸ばし続けるテーマパークがある。それが東京ディズニーリゾートである。東京ディズニーリゾートはディズニーランドとディズニーシーの2つのパークと周辺の東京ディズニーリゾートオフィシャルホテル、それからイクスピアリを合わせたものである。2006年度の東京ディズニーリゾートの来場者数は25,816千人であり2005年度の24,766千人に比べ1,050千人の増加(前年度比104,2%)で過去最高の来場者数を記録した。ここから推測すると、東京ディズニーランドには年間約13,000千人が訪れると考えられる。なぜ、ここまで東京ディズ
エッセイ 『朝日新聞』(全国版)2009年6月27日朝刊 臓器移植法A案可決 先進米国にみる荒涼 森岡正博 6月18日の衆議院本会議で臓器移植法改正A案が可決された。だがこの改正A案は大きな問題をはらんでいる。 現行の臓器移植法は、書面による本人の意思表示と家族の承諾があったときにのみ、脳死判定と移植を行うとしている。昨年の内閣府の世論調査でも、約52%の国民がこの考え方に賛同している。しかしながら、A案は、たとえ本人の事前の意思表示がなくても、家族の承諾だけで脳死移植ができるとする。これは過半数の国民の意見をないがしろにするものだ。 さらに深刻なのは、幼い脳死の子どもからの移植を可能としている点である。最近の調査研究によって、子どもの場合、脳死になっても身長が伸び続け、歯が生え替わり、顔つきも変わり、うんちをするときにいきむ、「長期脳死」の例があることが分かってきた。A案は、成長する潜在
『論座』3・4月号(2月4日) 2000年 200-209頁 子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を 森岡正博 脳死の人からの臓器移植が、昨年再開され、四例の脳死移植が行なわれた。関係者のあいだでは、現行の臓器移植法を改正し、条件をゆるめて、移植用の臓器がもっとたくさん出るようにするべきだという意見が語られるようになった。 背景には、「臓器不足」と呼ばれる状況がある。移植を待っている患者の数にくらべて、ドナーカードをもって脳死になる人の数がとても少ないから、移植を待っている患者に臓器が行き渡らない。これは世界的な現象である。日本の臓器移植法は、世界的に見てもかなりきびしい条件を課しているから、さらに移植用臓器の数は少なくなる。 それに加えて、現行の臓器移植法の運用指針(ガイドライン)には、十五歳未満の子どもが脳死になったとしても、その子どもから臓器を取り出すことができない
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論文 『人間科学:大阪府立大学紀要』4 2009年2月 57~106頁 将来世代を産出する義務はあるか? 生命の哲学の構築に向けて(2) 森岡 正博* 吉本 陵** *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。いま見ているこのページでは、傍点や特殊文字が出ていませんので、引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 全体目次: はじめに 森岡正博 第1章 ハンス・ヨーナスの将来世代論について 吉本陵 第2章 将来世代を産出する義務はあるか? 森岡正博 はじめに 執筆:森岡正博 本論文は、ハンス・ヨーナスの「将来世代への責任論」が内包しているところの、「われわれに将来世代を産出する義務はあるのか?」という問いに対して、哲学的な考察を行なうものである。もしわれわれが将来世代に対して責任を負う
*不定期更新です。 *どこ更新したのか分かりにくくて「いや」、というご意見をよく耳にしますが、分かりにくいのが面白いじゃないかと私は思ったりしてます。下記の文章が書かれた期間は2000年~です。つまり13年間の文章が混在しています。 氏名:もりおか まさひろ 生年月日:1958年×月××日 生誕地:高知県高知市 卒業学校:高知市立初月小学校卒業(1971)、私立土佐中学校、土佐高等学校卒業(1977)、東京大学文学部卒業(1983)、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(1985)、博士課程単位取得(1988)。 職歴:東京大学文学部助手(1988/4)、国際日本文化研究センター助手(1988/10)、大阪府立大学助教授(1997)、教授(1998)。 電話:電話は通じないようになっています。 連絡方法:まあ、メールがいちばん早くて確実でしょう。短期間の出張中など、たまに見ないこともあ
|生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 第四章 田中美津論 とり乱しと出会いの生命思想 第1節 便所からの解放 田中美津は、胎児の生命を絶つという事実から目をそらすことなく、その行為を殺人としてとらえる。そのうえで、自分が殺人者とならざるを得ないようになっているこの社会の構造を、殺人者の目からとらえ直そうとする。もちろんこの言説は、われわれに最終的解答を与えるものではない。しかし、これは中絶賛成/反対の不毛な二分法に足をすくわれがちなわれわれの知性を、もう一段高い地平に引き上げる可能性を秘めている。 田中のこのような独特のスタンスは、その後のフェミニズムの言説にきっちりと受け継がれたとは必ずしも言えない。しかし、われわれは田中のこの道筋を、もう一度受け継いで展開してみるべきである。 田中のこの思想の背景に
意識通信 森岡正博 『意識通信-ドリームナヴィゲイターの誕生』 筑摩書房 1993年4月 全220頁 本体1893円 絶版 → ちくま学芸文庫 (全494頁) 2002年7月 全263頁 本体1100円 絶版 ネットの心理とコミュニケーションを、インターネット誕生以前に予言した。SFかと思われる濃い世界が展開される電子メディア論の古典。 この本を書いたのは、1993年のこと。インターネット時代を、ある意味で予言した本として注目を集めました。しかし、1993年の時点では、われわれ一般人がインターネットを使うことはできませんでした。Yahoo!の登場が1994年、ネットスケイプ・ナビゲーター登場が1994年だったから。つまり、私は、この本を、インターネット以前に書き上げて出版したことになります。いまからもう10年も前のことなんだな。当時、早すぎると言われたりした。当時のパソコン通信マニアのあい
論文 『人間科学:大阪府立大学紀要』3 2008年3月 3~68頁 生命の哲学の構築に向けて(1) : 基本概念、ベルクソン、ヨーナス 森岡正博 居永正宏 吉本陵 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。いま見ているこのページでは、傍点や特殊文字が出ていませんので、引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 全体目次: 第1章 生命の哲学とは何か 森岡正博*a 第2章 アンリ・ベルクソンの生命の哲学 居永正宏*b 第3章 ハンス・ヨーナスの生命の哲学 吉本陵*c *a 大阪府立大学人間社会学部人間科学科教授 *b 大阪府立大学大学院人間社会学研究科人間科学専攻博士後期課程 *c 大阪府立大学大学院人間文化学研究科比較文化専攻博士後期課程 第1章 生命の哲学とは何か 執筆:森岡正博 目次: 1 なぜ「生命の哲学」な
論文 『倫理学研究』第38号 関西倫理学会 2008年4月 24~33頁 膣内射精性暴力論の射程:男性学から見たセクシュアリティと倫理 森岡正博 *【数字】の箇所で、印刷頁が変わります。数字はその箇所までの頁数です。 はじめに 沼崎一郎は一九九七年に独自の「膣内射精性暴力論」を発表した。これは日本の男性学に新領域を開く画期的な論考であった。沼崎の問題提起を受けて、宮地尚子は一九九八年にその論点をさらに展開する論文を発表した。本論文で私は、沼崎と宮地によって考察された論点を検討し、そのうえで、もしこの路線で思考を進めていくならばそこからどのような帰結が導かれることになるのかを考えてみたい。この種の議論は海外においても本格的には議論されていないのではないかと推察される。関心ある読者はぜひこの議論に参加してみてほしい。 1 沼崎一郎と宮地尚子による問題提起 沼崎一郎は、一九九七年に「〈孕ませる性
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