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長崎原爆のページ
■奈良の大仏 九日、長崎市の平和公園で原爆犠牲者追悼慰霊式が行われる。原爆投下の午前十一時二分、平... ■奈良の大仏 九日、長崎市の平和公園で原爆犠牲者追悼慰霊式が行われる。原爆投下の午前十一時二分、平和祈念像に向かって参列者がいっせいに頭(こうべ)を垂れる。高さ九・七メートル、重量三〇トンの青銅製男子裸体像だ。長崎県南有馬町出身の彫塑家北村西望が一九五五(昭和三十)年八月につくり上げた。 天を指す右手は原爆の脅威、水平に伸ばした左手は平和への希求。柔和な顔は神の愛、仏の愛を象徴し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥(めい)福を祈る―とされる。 しかし、犠牲者への冥福は当然としても、そのことだけで像は建立されたわけではない。観光長崎の新名所をつくりたい市当局と、像制作で永遠に自分の名を残したい西望の「過剰な自意識」が一体となって出来上がったものだった。 そもそも祈念像の基本的な理念はどんなものだったのか。五〇年、長崎市の関係者を前に西望は、ぜひ自分につくらせてほしいと次のように熱弁をふるう