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旧ユーゴ便り
かつてスレブレニッツァ報道「定番」と言えば老人か年配の女性だったが、今や遺族第二世代も青年層にな... かつてスレブレニッツァ報道「定番」と言えば老人か年配の女性だったが、今や遺族第二世代も青年層になりかけている(7月11日虐殺メモリアルセンターにて) 去る7月11日、ボスニア紛争のスレブレニッツァ大量殺害事件10年の追悼式典が、同市郊外ポトチャリ地区にある虐殺メモリアルセンターで行われました。 10年と言えば旧ユーゴ圏の人々にとっても「ひと昔」、節目です。そして今秋にはボスニア包括(デートン)和平成立から10年を迎えます。この10年でボスニアと周辺国の政治経済の流れは大きく変わりました。果たしてボスニアと旧ユーゴの「戦後」は終わった、あるいは新しい段階に入ったのか。実はこのスレブレニッツァ10年式典前後、ボスニア、セルビア、さらにはクロアチアでも様々な議論が沸き起こり、これら議論と式典をフォローすることになった筆者にも考える機会が与えられました。 無論筆者には「ボスニア戦後を検証する」など