エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
人はなぜ生きているのか | 法話 | 臨黄ネット
三日間の山登りを終えて登山口に帰ったとき、一緒に歩いた友人が山頂をふり返ってこう言いました。「人... 三日間の山登りを終えて登山口に帰ったとき、一緒に歩いた友人が山頂をふり返ってこう言いました。「人間の足ってすごいですね。あそこからここまで歩くんですからね」 。これを聞いて、私は次のような文章を思いだしました。 昭和初期に山に登るといば、何時間も汽車に乗って片田舎の駅に降り立ち、まずそこから登山口まで歩くのだ。その日は近くの民家に泊めてもらい、翌日から山に入る。何日間かの山行を終えて下山すると、また駅まで歩き汽車に乗って家路に就く、これが常だった。そうした中である時、帰りの汽車を待ってホームに立っていると、彼方遠くに登った山が見えた。『あそこまで歩いたんだ』その沸き立つ感慨は何物にも代え難いものだった。 うろ覚えの文章で、誰がどこに書いたものなのか全く手掛かりはないのですが、人はなぜ山に登るのだろうか、という質問の答えがここにはっきりと示されています。人は山に登って「歩いた」という自らのす