エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その32 機関誌『(旧)1/24』誕生の頃
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その32 機関誌『(旧)1/24』誕生の頃
私がアニ同の新人会員だった1971年当時、会長ではないものの実質的なリーダーとしてアニ同を引っ張って... 私がアニ同の新人会員だった1971年当時、会長ではないものの実質的なリーダーとしてアニ同を引っ張っていたのは湯川高光さんでした。その湯川さんの提案でアニ同の機関誌を出そうということになりました。 それまでアニ同では創立以来不定期に『アニメだより』という会報が発行されていました。時代を反映してガリ版(謄写版)刷りのもので、内容はアニ同内の連絡事項や記録、記事や感想文などで、これには私は入会時期の関係もあって全く関わっていません。 湯川さんは『アニメだより』とは別に、会員皆が参加できるものを考えていたようです。コボタンの2階での月曜集会の席上で、有志が輪になって話し合いがもたれました。湯川さんは熱意の固まりのようなエネルギッシュな方でしたが、同時に、やる気のある者は拒まずという懐の広い方だったので、入会間もない私も場に加わっていました。機関誌を出すことには皆異議なし、さて、誌名を何にしようとい