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僕の戦争論~補給を考える
戦争は補給が決定する。補給が相手よりもはなはだしく劣弱になったときに終了する。旧日本は太平洋戦争... 戦争は補給が決定する。補給が相手よりもはなはだしく劣弱になったときに終了する。旧日本は太平洋戦争において軍需工場 を相手国の空襲によって壊滅せしめられたときに壊滅した。それ以前に、無数の戦線に対し、補充すべき兵員、兵器を送るための船舶がなくなってゆき、燃料も底をつき始めた。さらには国内に飢餓状態がおこった。戦争はその原則どおりに終末すべきときにきて終末し、われわれは敗けた。 しかしベトナム戦争には右のような原則がない。その原則が戦争という人間社会の異常運動のキメ手の生理であるのに、そういう生理をもっていない以上、ベトナム戦争は戦争(内乱も含む)という定義からまったくはずれた別のものなのである。 -----司馬遼太郎『人間の集団について?ベトナムから考える 』(中公文庫) アメリカが圧倒的に強かったのはアルカイダに補給がなかったからだ。旧ソ連がアフガンで勝てなかったのはビン・ラデ
2012/07/21 リンク