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大聖寺城に堀、道跡…二の丸発掘調査 : 石川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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大聖寺城に堀、道跡…二の丸発掘調査 : 石川 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
加賀市教委は17日、同市大聖寺の大聖寺城跡(錦城山)の二の丸地区の発掘調査で、堀や道の跡を確認し... 加賀市教委は17日、同市大聖寺の大聖寺城跡(錦城山)の二の丸地区の発掘調査で、堀や道の跡を確認したと発表した。江戸時代の絵図と比較したところ、城の構造が時期によって変化していた可能性があることが分かった。21日に現地説明会を開く。 錦城山に立地していた大聖寺城は、南北朝時代の1300年代に築かれ、織田・豊臣系武将の支配を経て、1600年の関ヶ原の合戦後に前田家が領有したが、1615年に廃城となった。 市教委は今年度、二の丸地区の約150平方メートルを調査し、西側の堀跡と北東部で三差路の跡を発掘した。 大聖寺城を描いた江戸時代の絵図では、二の丸の北側だけ「からぼり」と記されていたが、西側にも堀が広がっていたことが分かった。堀は、時期によって規模を変えて作り替えていた可能性があるという。 また三差路跡は、絵図にきちんと描かれており、描かれた曲輪などの規模形状が測量図とほぼ一致する点からも、絵図