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野田正彰さん講演録
野田正彰さん講演録 「君が代神経症」に押しつぶされる 教職員と子どもたち 2001年12月16日 「... 野田正彰さん講演録 「君が代神経症」に押しつぶされる 教職員と子どもたち 2001年12月16日 「満州事変」から70年−−−被害の側と加害の側の記憶の隔たり 最初私は、日本の植民地政策の話から始めたいと思います。今年は、歴史教科書と公民教科書が問題になった年です。しかし、公民教科書はあまり問題にならず、歴史教科書だけでした。しかも、韓国と中国からの抗議があったという面が大きかったわけです。そして、採決が終わると、この問題は潮が引くように消えていきました。 今年の秋は、1931年9月18日の「満州事変」から70年目であります。そのことがほとんど忘れられたまま、私たちはこの秋を過ごしました。私は、この9月北京の社会科学院に呼ばれて講演に行きました。北京の郊外には、日中開戦のきっかけとなった廬溝橋事件の起こった廬溝橋があります。そのたもとには、日本の侵略記念館ができています。私は、