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昨日の深夜にたまたま観た「NNN ドキュメント」の余韻がまだ残っている。 概要は、熊本の「赤ちゃんポ... 昨日の深夜にたまたま観た「NNN ドキュメント」の余韻がまだ残っている。 概要は、熊本の「赤ちゃんポスト」をめぐる賛否両論を紹介しつつ、「捨てられた後」を伝えるものだった。「赤ちゃんポスト」については、捨て子を救うどころか助長する恐れがあるものとして、法的にも、倫理的にも反対・慎重論が多い。育てられないなら作るな、産むなという「大人の分別」は、やはり大切な一線であるとは思う。この産婦人科病院長はしかし、クリスチャンである自らの信条もあって、中絶手術は一度も行ったことがないという。育てられないなら、作るな、産むなという大前提は同じだろうが、それでも宿してしまった命、産んでしまった子に対する「育てられないなら~する」の行動の部分が、規範として異なっている。育てられなくても、授かった命は命。世に送り出して、幸福の道筋をさぐるために最善を尽くす、ということだろう。いかなる段階においても、生殺与奪の