つまり、気違い。 ってやつかな。そう思われてもしかたないな、こんなこと書いているのだからなと思う。 そして、そういう気違いだからなのか、私がネットやメディアを通して見る情報などが気違いに見える。これは気違いは傍を気違いだと思うという相対的に、ということなのだろう。 今年は特にそういう思いが強くなった。 ということは私の気違い度がアップしてしまったということか。 ネットというのは完全に開かれているわけではないが、かなり開かれている。つまり、対話は可能だ。だが、そういう対話の可能性が技術的に見えて来つつあると、実際の運用ではその逆が起きる、テレビが登場したときのように。 この人には全然通じないなと思うことが多くなった。 対話のツールとかの問題ではないな、と。 むしろ、二三回でも対話できるほうは、一見すると通じないと嘆かざるをえないようでも、冷静に考えればまだ通じているの部類だ。 通じるというの