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ブックマーク / ch1248.hatenadiary.jp (11)

  • 個人ホームページとblogの決定的な違い - 花見川の日記

    中村橋さんとこのエントリ見ててふと思った。 ただ、どうなんだろう、末端の一ネットユーザーからすると、テキストサイトの管理人って、一種の「作者」だった気がするんだよね。実際はオフ会とかなんかでややこしい人間関係があったのかもしれないけど、俺、そういうのもともとあんまり見えないほうだし。そもそも「ホームページ」に「日記」が置いてあって、そこに「掲示板」があるわけでしょう。構造的に「作者」と「そのファン」っていう以外のかたちってできにくかったんじゃないかと思う。少なくとも、当時の俺からはそんなふうに見えてた。 http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100514/1273800531 前にyosituneさんが「インターネットの舞台が個人ホームページからブログツールに移ったのがテキストサイトの悲劇」と言ってた気がするんだが、 個人ホームページってのはまさに「個

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  • 文章うまくなるうんぬんの話 - 花見川の日記

    http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090425/1240669223 テキストサイト周辺の文章をよく読んでた頃、GAMIANというサイトでゲームの批評文を読んだときに、文章の巧さとか言葉の選びだけでなく、物事における「その人が気付いたこと」を前面に押し出してて「ゲームの事を、ここまでうまく書けるものなのか」と感動したと同時に、「うまい文章は書けないけど、論や構造とかの『気付いたこと』なら俺にも書ける」と思ったのがネットで文章書くきっかけになったなあ。 ただ、小学校入る前ぐらいから算数大好きで高校生ぐらいまで偏った意味での理系で、読書がそれほど好きでも無い上に作文はマジで嫌いで、上のような経緯を辿った人間としては「文章うまくなるためには文章書いたり、をたくさん読め」っていう話は納得いく部分もあるけど、かなり腑に落ちない部分もあるのだよな。重要なのは

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  • 料理の凄さ - 花見川の日記

    3年前から一人暮らし始めて以来、ちょくちょく自炊してるんですけど改めて料理ってすげえなとか思うんですよ。 まず、ベタに自分のために作ったとしてもちゃんと意味がある。 誰だか「料理のいちばん良いのはえるところだ」と述べてたそうですが、まさにその通りで自己満足のために作ったとしてもちゃんと栄養になる上、「うまい」っていうのが凄い。スキルにもなる。他のことで自己満足のためにやったとしても、「オナニー乙」とか呆れた顔で対応されたりするもんですが、料理ばっかは自己満足のために作っても「偉いなあ」みたいな感じで見られる。これってよく考えてみたら凄いことですよ、つうか料理って行為は特異過ぎるだろとか思う。 それに結果が簡単に逆転したりするのが凄い。まずいけど、うまかったりする。*1 これとか自分で自炊し始めてわかったのだけど、市販品とか店の料理とかプロが作ってるからそれなりにおいしいんですよ。 でも、

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  • 二郎 品川店 その2 - 花見川の日記

    一度行った品川店だが、今度は開店と同時に攻めてみようということで、昨日再び突入した。 メンバーは、id:hebomegane id:FMNAKA id:extramegane id:nisemono_san id:ch1248 の5人。 前に二郎部部長ことid:obacanと一度行ったことがあるので、そこまでコンディションが良いわけではないものの、まあ大丈夫だろうとタカをくくっていたのが失敗だった。 通常「もやし増し増し」と言うと、もやしが高く盛られ、下の写真のようになる。 しかし、品川店では「もやし増し増し」のことを「もやしダブル」(「もやし増し」でも可)と言う習慣がある。 つまり、通常の二郎の「もやし増し増し」が品川店での「もやし増し」なのである。で、その習慣をすっかり忘れていた俺は「もやし増し増しで」と言ってしまった結果、こうなった。 なんだこれは。 通常のラーメンも増しな上にオプシ

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  • 嫌儲とWeb性善説 - 花見川の日記

    twitterにて嫌儲が少し話題になってたので、嫌儲の正当性のあるケースを考えてみる。 昔から自分の中で「Web性善説」と勝手に呼んでる構造がある。 WikiPedia辺りがわかりやすいと思うのだけど、「どんな種類の人間だろうと数を集めれば、場所を与えるだけでそれぞれの余暇を用いて、様々な専門的知識・知恵の集積が発露される。」と言われれば、ネットに多少詳しい人間ならピンと来ると思う。例を挙げると、先程のWikiPediaを含め、2chだとこんなことがタダで分かったり、ニコニコ動画だとこんなのがタダで見れたりする。(ニコニコ動画の作品はプロが余暇で作ったものらしい) で、ポイントはこの構造に金の流れが無いこと、もっと言えば金の流れが無いからこそ成り立っているという点。 WikiPediaに関して「金の流れ」を作って運営しようとすれば、余程うまくやらない限りコンテンツはおそらく全てダメになる。

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  • 初音ミクが流行った理由などあれこれ - 花見川の日記

    今ちょうど酔っ払ってるので全力で反応。エントリ4つ分くらいの内容を圧縮したので難解になってるとは思いますが、ご了承を。 VOCALOIDの歴史というのはけっこう古いもののようなんですね。でも、初音ミクは最近になって受けた。この辺の理由が知りたいな、と。いきなり結論付けてしまうと、初音ミク以前の歌を歌うツール、例えば”くまうた”とか"PC-6601"とかはあくまで”ツール”であってそれ以上のモノではない。「じゃあ初音ミクは何なのか?」と問われると、一代前のVOCALOIDであるMEIKOが「シンガー(歌い手)」とすれば、VOCALOID2である初音ミクは「アイドル」とか「アーティスト」と言える存在なんですよ。”専門的”というよりも”総合的”な存在なんです。*1 一連の初音ミク論を見ていると、「初音ミクは音楽ツールとして有効であるかどうか?」という部分ばかりが焦点になっていて、それだと一昔前に

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  • はてなスターについてあれこれ考察 - 花見川の日記

    はてなダイアリーやはてなグループに「はてなスター」が導入された。 ブログをいっそう楽しくする「はてなスター」をリリースしました - はてなダイアリー日記 早速、「こんなもんいらねー。」っていう意見が各地から出ていて、はてなスタッフが気の毒になってくる気がするので、少し前向きに捉えてみる。 評価のようで評価ではない はてなスターに関するエントリをざっと見てみたの限り、どこもかしこも「エントリの評価」と考えているケースが多いのだけど、そもそも評価だったらスターを付ける数に制限が設けられるはずだから、客観性を含めたような「評価」を意図したものではないと思う。むしろ人気じゃなかろうか。 皆から愛されてるブロガーはすげえ星が付くと思う。星をいくつも付けれるのは「星を付ける側がどれだけそのエントリやブロガーのことを気に入っているか」という指標なわけで、その総和が表示されるだけ。評価という言葉を使うにし

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  • 自分の好きなものを肯定する手法 - 花見川の日記

    ここ最近、朝から夜の10時までバイトやり続けてて、まだ慣れないものの、かなり丁寧に教えてくれるので必死に喰らい付いている。なんつーか、ここ五日間がだいたい半月ぐらいに感じる程度の高密度な時間を過ごしており、まあそれはそれで幸せかなとか考えている昨今。 で、バイトやる前の数ヶ月間はひきこもってネットばかりやっていたせいで、バイトの同僚と話していると感覚のズレが少しある。 「誰か好きな人いるんですか?」とか「気に入っている芸能人とかいます?」とか「カラオケとかよく行きます?」とか、ネットじゃつまらないことと切り捨てられるような話題がごく”普通”に会話の中で出てくる。高校生ぐらいの頃は「それの何が面白いんだ」っていう感覚を持ったのだろうけど、今の自分はそういう話をしていると、なんだかホッとする。おそらくそれは、”普通”であることの安全感、マジョリティに包み込まれてる安心感だと思う。 一般人のオタ

    自分の好きなものを肯定する手法 - 花見川の日記
  • ネットジャンキー(2.0)にならないように - 花見川の日記

    ネットからしばらく離れてみて痛感したのだが、ネットジャンキー(2.0)は当に良くない。 なんで2.0にしてるのかというと、SBMやrss、ブログを使い込んでるネットジャンキーだと、昔のHP掲示板を使う旧来のネットジャンキーとはちょっと違うなと思ったので区別したかったせい。なんつーか今のネットジャンキーは「情報収集家」みたいなかんじだし。 んで、今のネットジャンキーには以下のような弊害がある。 ・時間がやたらわれて何もできなくなる ・生活が不規則になる ・やり過ぎると、はてな界隈ネタとか2chネタとかアニメネタ、PCネタとか話題が非常に偏ってくるため、一般人との会話がスムーズにいかなくなる ・座ってる時間が長く、体を動かさないため、知らないうちにストレスが溜まっていることが結構ある というように人間として段々腐ってくる。 逆に利点としては、 ・文章書くのがうまくなる ・議論に慣れるので、

    ネットジャンキー(2.0)にならないように - 花見川の日記
  • はてなアンテナの有効な使い方 - 花見川の日記

    ニコニコから輸送したYoutube - トレス疑惑が人気エントリになってて驚いた花見川です。にしても、実家のPCは使いづらい・・・・・・。 最近、「はてなアンテナ」の使い方をよく考えるんですが、その使い方の一つに”相互アンテナ”というのも良いかなあ、と考えているわけです。一時期、サイト間の”相互リンク”という慣習がありましたが、そのアンテナバージョンというか。 はてなRSSとの比較 似たサービスではてなRSSというサービスがあります。 こちらの方が大量のサイトを登録でき、各サイトの文章を自分のRSSに集約できるので、”純粋な情報収集”を考えれば当然RSSの方が有利でしょう。 しかし、Web巡回を「楽しむこと」に用いるのであれば、多少勝手が違ってくるのではないかな、と思うのです。 多少話が逸れますが、RSSは情報を集約できますが、デザインまでは取り込めない。また、デザインを取り込めたとしても

    はてなアンテナの有効な使い方 - 花見川の日記
  • ”ネット”に送り込まれた『自分』 - 花見川の日記

    ともむーんさんの話を別角度から書いてみる。 バッドエンドとハッピーエンド - 月がでたでた月がでた バッドエンドをバッドエンドだと書く自分にさらに惨めさを感じそうだから、バッドエンドを無理矢理にでも脳内でハッピーエンド(エンドじゃなくても、ハッピーな状況/ハッピーじゃなくても、ノーマルな状況)に変えて書く。喋る。発信する。 これって「逃げ」なのかな。 変な話になるんだが、この文章を見て思い出したのが、ドラゴンボールの人造人間編。 悟空が心臓病で死んでしまい、人造人間達が殺戮を楽しんでいるような荒廃した未来で、ブルマがタイムマシン作り出して息子のトランクスを過去に送り込む……のだけど、そこで未来が変わるよう行動したとしても、別次元の未来が出来るだけで、「送り込んだ側」の未来は決して変わることが無い。早い話、自分たちの世界は救われないのだ。 でも、そこで敢えて多大な労力を払ってまで別次元の未来

    ”ネット”に送り込まれた『自分』 - 花見川の日記
    extramegane
    extramegane 2007/04/04
    はやく現実と空想の区別がつかなくなればいいのに!全員!
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