Hands-on with the new iPad Pro M4: Absurdly thin and light, but the screen steals the show
そうした動機の核がないまま、大量の本を読むだけの人は、ウンチク一般が好きな、ただの知識オタクにすぎない。 (『教養コンプレックスを克服する2+1読書術』プレジデント、2005/8/29号) ドキッ。しかしこれだけでは 「やっぱりそうだよね」であり、 「ハッ、そうなのか!」にはならない。 僕が松岡正剛氏(編集工学研究所所長)の文章を読んでハッとしたのは、 上記の「そうした動機」が指し示していたものでありました。 人は誰でも、子供時代、不思議でたまらなかったこと、大好きだった遊び、さらには、嬉しくて、あるいは逆に悲しくてたまらなかった思い出を持っている。私は、こうした「幼な心」を満足させることが教養の核にあるべきではないか、と思う。 そうした動機の核がないまま… (同上) ビジネス書・実用書は明確な目的を持って読むことができます。 しかし、その他の本はどうか。どのように自分なりに知を体系づける
■『マリ・クレール』の時代〜かつて女性ファッション誌に「教養」が載っていた 04:49 http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20060616#p1 経由で http://d.hatena.ne.jp/andy22/20060513/p3 を読み、まさにその『マリ・クレール』を主題に書いたボツ原稿があったのを思い出したので載せときます。 現在続々刊行中の「教養」をテーマとする某シリーズ書籍の一冊に書いた原稿です。「教養」で四本、と頼まれたコラムのうちの一本。 クライアントが設定していたお題は、「教科書という制度」「脳と記憶」「女性と教養」「21世紀の教養」。 結果、全部ボツ。 おっとー、いっそ気持ちいいねえ! で、ボツの理由だが、なんと「気に食わない」。 いや、四本もあってそれぞれぜんぜんテーマが違うのだし、具体的にどこが問題か指摘してくれないと直しようがないと訊
大学院生時代から色々と考えていた事を、チョッとまとめてみました。 ★大学学部・専攻の選択に関して 東大には進振りシステムと言うのがありまして、専攻の選択は大学2年時となるわけですが、より一般的には大学入学時に専攻を選択する事となると思います。ここで、当然自分の興味がある分野に進学すると思います。しかし、進学前にイメージしていた学問分野と、実際の学問的な方法に接した場合とでは、それを楽しいと感じるかどうかは一様ではありません。僕の場合は日本史学から学問の分野へ入ったのですが、日本史の本を読んで面白いと感じていた事は、日本史研究をするということへの興味関心とは直結しないので注意が必要です。幸いにも日本史の研究そのものにも興味関心があり、それなりに相性も良かったみたいで、こうやって長々と研究の道に踏み込んでしまいましたが、チョッと違うなと思ったら早めの方針転換をお薦めします。 さて、日本史とか歴
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