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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (5)

  • 書店が混んでいた - finalventの日記

    このところ書店が混んでいる。混んでない時間帯もあるのだろうと思うが、昨日、ちょっと大型書店に寄ったらレジに行列で、混んでいるから今日買わないと言っている客もいた。私もあの列に並ぶのはやだなと思って、帰ってアマゾン買いにしようと思った、が、一部はアマゾンで配送がゲロ遅れになっているので、慌ててキャンセル。アマゾン、どうも在庫の管理というか配送の管理が変だ。困ったな。 それにしても、あの書店の混み具合は驚いた。文具というか、Loftや無印もけっこう混んでいた。なーんだ消費は活発じゃないかというのと、どうもレジとかの対応員のローテションというか対応システムが負荷時の対応が取れていないようも思えた。 新刊書の流れが速く、そして書店では新書は見つからない。文庫も見つからないから実際上は買えないに等しい。

    書店が混んでいた - finalventの日記
    f-nyoro
    f-nyoro 2009/03/02
    まったく同じことを昨日思った
  • 小林秀雄の読み方 - finalventの日記

    いわゆる近代批評の部分確立した小林秀雄というのは「モーツアルト」で終わりなんですよ。 あるいはその延長というか。「ゴッホの手紙」とかけっこうどうでもいい。 その意味ではこれが必読ですよ。 小林秀雄: 江藤 淳 小林が長谷川泰子関連のどたばたで自殺しようとした遺書まで含まれていて、そのあたりは圧巻です。よく小林がこれを公開したものだというか、このころ小林は江藤に賭けていた部分もあったのかと思う。 ただ、江藤のこの作品は、作品としてみると、けっこうとほほ。 この問題はこれとも関連。 これ⇒極東ブログ: [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護) で。 と、ちょっとウィキペディアを見たら苦笑⇒小林秀雄 (批評家) - Wikipedia 小林秀雄の真価はむしろ、ドストエフスキイ論から始まる。 これね⇒「 ドストエフスキイの生活: : 小林 秀雄」 これがどのくらいすごい問題を

    小林秀雄の読み方 - finalventの日記
  • ああ、島尾ミホさんが死んだ - finalventの日記

    ⇒「死の棘」モデル・島尾ミホさん、死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) ⇒finalventの日記 - はてなQ 人生の迷いを吹っ切れた、と感じたを教えてください。西部邁とかがすきです。 死の棘: 島尾 敏雄 私はもっているけどすげプレミアム⇒「 海辺の生と死: : 島尾 ミホ」 ⇒「 海辺の生と死 (1974年): : 島尾 ミホ」 復刻してはどうだろうか。 ヤポネシアの海辺から―対談: 島尾 ミホ,石牟礼 道子 そして、「死の棘」の裏に。 月の家族: 島尾 伸三 魚は泳ぐ―愛は悪: 島尾 伸三 星の棲む島: 島尾 伸三 ああ、文学とはなんなのだろう。

    ああ、島尾ミホさんが死んだ - finalventの日記
    f-nyoro
    f-nyoro 2007/03/29
  • 本好きの人が持っている10の間違った認識と行動 - finalventの日記

    自分はを正しく評価できると思い込んでいて、あれはくだらない、あれはすばらしいとか言う。 自分は正しくを読んでいると思い込んでいる理由が実際は精読によるのではなく、個々のインフォメーションの集積によっている(気が付いていない)。 つまらないを買ってしまった自分に恥じてこっそりブックオフに売り、これはよいと思ったを書架に並べるが、それは単なるコレクションだと言われるとむっとする。 を読んで感動できる自分がとっても好き。その割に他人が感動しているのが大嫌いでいろいろなんくせをつける。 を読むことによって得られるものはといった議論が好きでやたらと難解にする。 $山形浩生のとか訳とか書評は読んでみる……なお、$山形浩生は変数で、小熊英二とか浅田彰とかいろいろ代入可能(自分をそれらと同一視したいファンちうことやね、結局)。 ローマ史とかハプスブルク家とか三国志演義とかディテールを知

    本好きの人が持っている10の間違った認識と行動 - finalventの日記
    f-nyoro
    f-nyoro 2006/06/15
  • 吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記

    ソフト・スターリニズムとは何かが以前なら感覚としてある層には共有されていた。おそらく、60年代安保から70年代安保への裂け目の感性を持つ人がいたからだ。それと、吉は関わらなかったが、ハンガリー動乱が日共的なもののの質的な解体を志向していることに気が付いた人がいたからだ。 今その感性が崩れ去ろうとしてのは、彼らが死期を迎えつつあるからか。しかし、その問いは歴史のなかに忘れ去れさられるに足る解体を遂げただろうか。 そうではないだろう。むしろ、その間隙のなかでべ平連的なものが、戦後民主化的なものと結合して※※的なものに結合して、歴史の感性を失った30代から20代の旧知的な特権に吸着される若者に見られるようになった。面白いことに、吉主義者の私に対する攻撃がこのあたりから起きてきたのはあまりに漫画的というか、俺も吉主義者なんかやってるからだよ、な。 この若者たちには60年代から70年代の間隙

    吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記
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