今回発表した「サルトルとロボット」はいずれ論文にします。が、さしあたり、そのテーマに関していま突然思いついたことがあるので、忘れないうちに書いてみようという気になりました。 サルトルは、サイボーグ肯定主義です。それは、「実存は本質に先立つ」というサルトルの哲学が徹底した反本質主義だからです。したがって、彼は「人間の本性」などというものを認めません。身体に関して言えば、サルトルの哲学は、「ホンモノの」身体とか、「自然な」身体を前提とするような考え方と対立します。彼はカフェのボーイはボーイであることを演じているのだ、と言いました。そこでサルトルはボーイをロボットにたとえています。また、例えば『聖ジュネ』には、「ニセモノ性」を称揚する思想が見られます(それは「想像的なもの」の称揚につながります)。その辺のことが、『猿と女とサイボーグ』をもじった「サルトルと女とアンドロイド」*1という論文で書いた