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ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (2)

  • サイボーグ - 猿虎日記

    今回発表した「サルトルとロボット」はいずれ論文にします。が、さしあたり、そのテーマに関していま突然思いついたことがあるので、忘れないうちに書いてみようという気になりました。 サルトルは、サイボーグ肯定主義です。それは、「実存は質に先立つ」というサルトルの哲学が徹底した反質主義だからです。したがって、彼は「人間の性」などというものを認めません。身体に関して言えば、サルトルの哲学は、「ホンモノの」身体とか、「自然な」身体を前提とするような考え方と対立します。彼はカフェのボーイはボーイであることを演じているのだ、と言いました。そこでサルトルはボーイをロボットにたとえています。また、例えば『聖ジュネ』には、「ニセモノ性」を称揚する思想が見られます(それは「想像的なもの」の称揚につながります)。その辺のことが、『猿と女とサイボーグ』をもじった「サルトルと女とアンドロイド」*1という論文で書いた

    サイボーグ - 猿虎日記
  • 猿虎日記 - ウヨーサヨーする時代の中で

    小田嶋氏をめぐる話の続きです。時間がないので簡潔に……。と思ったら超長く……。 NakanishiBさんがおっしゃるように、前回私がとりあげた小田嶋氏の記事トラバ先、すなふきん氏の議論は大変興味深いです。 左翼から右翼へ〜反抗思想の変遷 すなふきん氏は、前回私がとりあげた、小田嶋氏の偉愚庵亭憮録「ウヨ曲折」と、それに反論しているBUNTEN氏のBUNTENのヘタレ日記「サヨ(左様)か?」を取り上げ、双方とも違った興味深い観点を提出しています。すなふきん氏は、小田嶋氏の意見と、BUNTEN氏の反論を次のようにまとめています。 保守的な大人たちへの「反抗の象徴」としての左翼運動がいつしか反転し、今では右翼がかっこいいものとなってしまった。そこには左翼思想を基盤にする戦後民主主義思想が空気のように当たり前(体制化)になってしまった(よって反抗的なのはむしろ右翼になった)という事情があるという小田

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