太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…
元々この文章は、「赤ちゃんモモの夢についての解説記事」の付録として書いたのですが、結構長くなったので、独立して表示するようにしました。 僕は海モモを見ていません。正確に言うと、2つの話しだけしか見ていません。実は海モモが始まると知ったときは狂喜したのです。「またモモに会える」と考えるだけで、うれしくてうれしくてしょうがなかったのです。皆さんにも大好きな作品があるなら理解してもらえると思いますが、好きな作品だからこそ当然全話見てしまいます。放映が終わって、あるいは再放送とかによって全部見てしまうと、もう新しい話しを見ることができなくなってしまうのです。大好きな作品を「これからどうなるのかな」とわくわくしながら見る楽しみがなくなるのです。そういった意味で海モモ開始のニュースはとてもうれしいものでした。 しかも、タイトルは「魔法のプリンセスミンキーモモ」そのままという情報が入ってきたのです。特に
キャラクターデザイン・作画監督:毛利和昭 原画:毛利和昭、吉田徹、沖浦啓之、柳沢まさひで、逢阪浩司 北久保弘之(ゲスト) 一度簡単に書いたことがあるのですが、先日のタイムギャルで毛利さんがでてきたついでにスタッフの話を絡めてもう一度。『ク○ーミーマミの優がトシオと結婚して息子のトシミツが生まれて、事故で優が死んじゃって、トシオとミドリ君の会社で優をモデルにしたロボットを作った・・という話。』らしいです。ゼネプロのプロモーションビデオ?よく分かりません。1986年制作でスタッフはアニメアール。動画に何故か谷口守泰さんがいます。 ヘリからミサイルを撃つカットが逢阪さん、暴走する機会に翻弄される博士のカットと、その直後走ってる二人の男をバックに男の子がエフェクトと共に現れるカットが毛利さん、ボコボコと地面を砕きながらロボが出てくるカットが沖浦さんでしょうか。田村系のエフェクトと妙に伸び縮みする男
なぜアニメやマンガにやたらと学校が登場するのか なぜアニメやら漫画やらには、やたらと学校が出てくるのか? 「子供向きの話だから主人公は読者と同世代に」 というような話が昔から言われているのだけれど、それだけでもないような気がする。明らかに対象が青年向けであったとしても、学園モノというジャンルは明らかに多いし。 ・・・要するに、現在の読者が「共通」に持っている「リアリティ」のある空間は、学校しか見つからない。 そういうことなのではないだろうか。 * ■シンボル・リアリティ・学校■ たいていの物語というのは、言葉とか、見慣れたシンボルとかを一つ一つの要素としてその上に構築される。 そのシンボルに 「過去の自分の体験」 が結びついていると 「リアリティのある想起」 ができるようになる。そうでないものについては、想像で埋めるしかない。 たとえば、藤子不二夫なら、リアリティのある空間は
先週、某広告代理店と編集者他の呑み会に参加。末席を汚させてもらう。 現在は編集の現場を離れてしまったけれど、昔はぶいぶい言わせていたちょっと尊敬している編集者さんからの金言。 実写映画化、アニメ化は、小説が売れた作家へのご褒美じゃない。 あれはもっと本を売るための手段でしかなく、そう作家も考えていかないといけない。 (映像化された時に、映像制作陣に常識はずれな態度を取っちゃう人は……←さすがにここまでは言わない) 映像化されたのを「一つの到達点」と思うようでは、作家としては生き残っていけないね。 アレは単なる通過点の一つに過ぎない。 名言である。 「生涯に一本、自作がアニメ化されればいい」というのは甘えで、映像化された以降も増えた読者に対して本を売り続け、売れ行きを伸ばせるor落とさない作家だけが本物であるのは間違いない。 アニメ化されたいという野心を持ってライトノベル作家になるのはいいけ
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