群馬県碓氷郡西上磯部村生まれ。1912(明治45)年、北原白秋主宰「朱欒(ザンボア)」12月号に『藍色の蟇』『慰安』を吉川惣一郎の名で発表。萩原朔太郎などに影響を与える。生活のためサラリーマン生活を送るが、その間もひたすら詩作に没頭した。1934(昭和9)年4月18日、結核にて死去。 「大手拓次」
群馬県碓氷郡西上磯部村生まれ。1912(明治45)年、北原白秋主宰「朱欒(ザンボア)」12月号に『藍色の蟇』『慰安』を吉川惣一郎の名で発表。萩原朔太郎などに影響を与える。生活のためサラリーマン生活を送るが、その間もひたすら詩作に没頭した。1934(昭和9)年4月18日、結核にて死去。 「大手拓次」
小説の巧拙を論ずるには篇中の人物がよく躍如としているか否(いな)かを見て、これを言えば概して間違いはない。 人物の躍如としているものは必ず傑作である。人物が躍如としていれば、その作は読後長く読者の心…
小公女 A LITTLE PRINCESS フランセス・ホッヂソン・バァネット Frances Hodgeson Burnett 菊池寛訳 この『小公女』という物語は、『小公子』を書いた米国のバァネット女史が、その『小公子』の姉妹篇として書いたもので、少年少女読物としては、世界有数のものであります。 『小公子』は、貧乏な少年が、一躍イギリスの貴族の子になるのにひきかえて、この『小公女』は、金持の少女が、ふいに無一物の孤児(みなしご)になることを書いています。しかし、強い正しい心を持っている少年少女は、どんな境遇にいても、敢然(かんぜん)としてその正しさを枉(ま)げない、ということを、バァネット女史は両面から書いて見せたに過ぎないのです。 『小公子』を読んで、何物かを感得された皆さんは、この『小公女』を読んで、また別な何物かを得られる事と信じます。 ある陰気な冬の日のことでした。ロンドンの市
藍色の蟇 森の宝庫の寝間(ねま)に 藍色の蟇は黄色い息をはいて 陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。 太陽の隠し子のやうにひよわの少年は 美しい葡萄のやうな眼をもつて、 行くよ、行くよ、いさましげに、 空想の猟人(かりうど)はやはらかいカンガルウの編靴(あみぐつ)に。 陶器の鴉 陶器製のあをい鴉(からす)、 なめらかな母韻をつつんでおそひくるあをがらす、 うまれたままの暖かさでお前はよろよろする。 嘴(くちばし)の大きい、眼のおほきい、わるだくみのありさうな青鴉(あをがらす)、 この日和のしづかさを食べろ。 しなびた船 海がある、 お前の手のひらの海がある。 苺(いちご)の実の汁を吸ひながら、 わたしはよろける。 わたしはお前の手のなかへ捲きこまれる。 逼塞(ひつそく)した息はお腹(なか)の上へ墓標(はかじるし)をたてようとする。 灰色の謀叛よ、お前の魂を火皿(ほざら)の心(しん)
文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町(あざぶりゅうどちょう)の、今歩兵第三聯隊(れんたい)の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿(みかわのくにおくとの)の領主松平左七郎乗羨(のりのぶ)と云う大名の邸(やしき)の中(うち)に、大工が這入(はい)って小さい明家(あきや)を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中の士(さむらい)で、宮重久右衛門(みやしげきゅうえもん)と云う人が隠居所を拵(こしら)えるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎(いなか)にいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。 四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知ら
きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経(た)って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此(こ)の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手(へた)でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。なにせ紀元二千七百年を考慮にいれて書かなければならぬのだから、たいへんだ。でも、あんまり固くならない事にしよう。主人の批評に依(よ)れば、私の手紙やら日記やらの文章は、ただ真面目(まじめ)なばかりで、そうして感覚はひどく鈍いそうだ。センチメントというものが、まるで無いので、文章がちっとも美しくないそうだ。本当に私は、
弱い者は、常に強い者に苛(いじ)められて来た。婦人がそうであり、子供がそうであり、無産者がそうであった。 諺(ことわざ)に言う「手の下の罪人」とは、ちょうどかかる類(たぐい)を指すのであろう。婦人は、暴力に於て男子の敵ではなかった。貧乏人は金持ちの前に頭が上がらなかった。小作人は到底地主を屈伏(くっぷく)することができなかった。 しかし、時勢は、推移した。今や、婦人は平等の権利を主張し、無産階級の解放は、また決定的の事実と見らるるに至った。もはや彼等は、手の下の罪人のような待遇を受けずに済むことも恐らくは遠くはあるまい。 「手の下の罪人」何という暴虐(ぼうぎゃく)な言葉だ。誰が罪人なのだ? そして、いったい何人にいかなる権利があって恣(ほしいまま)に鞭打(むちう)ち、苦しめ、虐待を敢(あ)えてするのだ。誰に、そんな権利があるのだ。 ちょうど、資本家が、労働者を酷使(こくし)したように、男子
[#改丁] 序編 或るとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた。私は津軽に生れ、さうして二十年間、津軽に於いて育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところが無かつたのである。 金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。それから三里ほど南下し、岩木川に沿うて五所川原といふ町が在る。この地方の産物の集散地で人口も一万以上あるやうだ。青森、弘前の両市を除いて、人口一万以上の町は、この辺には他に無い。善く言へば、活気のある
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ
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