memoに関するfm963のブックマーク (64)

  • 雑談②いつまでたっても慣れない総理番のお仕事:イザ!

    ■麻生政権の成立にともない、私の番記者生活がスタートしたが、正直いうと、4カ月たったいまもまだ、番記者の仕事になれない。耳慣れない用語や習慣なんかも多い。「経読み」「壁耳」って何?オフレコといっているのに書いていいの?官房長官らの「慎重に考慮します」「前向きに検討します」という発言はどういう意味? ■ちなみに「経読み」とは法案の趣旨説明。お経を聞いているのと同様、眠くなるから。「壁耳」というのは、クローズドの委員会などのとき、会議室のドアの隙間に耳をあてて、中の話を聞くこと、もしくはその内容。それって盗聴やん。それを記事にかいていいんですかぁ?→いいんだそうです。でも、それなら委員会室に盗聴器しかけたり、その外で集音機(探偵さんとかがつかっているやつ)で、声をとって記事書いてもいいってことにならないのか?これはダメだそうだ。では補聴器は?ガラスコップを扉に当てるのはいいのか?疑問はつのる。

    fm963
    fm963 2009/01/24
    「よって野党の政治家の番は、野党の視点から、与党の政治家の番は、与党の視点から、と、集めてくるネタのスタンス、方向性が違う。一般に政治記事で一番読まれる内幕ものは、そういういろんな義理人情にしばられた番記者たちの、違うスタンスのネタを総合して、キャップとかサブキャップの人がまとめる、という形になることが多い。」
  • 入試「改革」のご提言について - 内田樹の研究室

    センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。 毎日新聞の社説子はこう書いている。 「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基的な教養の欠落も指摘されている。」 ご指摘の通りである。 そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。 そのわれわれに向かって論

    fm963
    fm963 2009/01/21
    「競争において相対優位を占める「努力」に適正な「報酬」を約束するという「努力=報酬相関システム」の導入によって、日本の子供たちは勉強することを止めた。 利益誘導によって、私たちは子供たちに「学力そのものには何の内在的な価値もなく、それによって得られる報酬こそが一次的に有用なのである」という信憑を刷り込んでしまったからである。」
  • 「幻の原稿」編|教授からのメッセージ|高等研究院 制がんストラテジー研究室|国立大学法人 東京医科歯科大学

    「幻の原稿」 始 末 この原稿は、もともとY社の「実○医学」に全10回という長期連載シリーズ『Q&Aで答える 基礎研究のススメ』のために、このHPにある「教授からのメッセージ」を大幅に加筆修正したものです。昨年の夏休みの大部分と、その後のちょっとした時間に少しずつ書きため、ゲラ校正も終わってやっと発刊、というときにボツになった「幻の原稿」です。 ボツになった理由は、「内容が過激だから」です(笑)。実はわれながら、こんな文章を当に「実○医学」が出す勇気があるのだろうかとずっと疑っていました。また評価も完全に二分されるだろうと思いました。自分では正論と思っていますし、それを読み取って理解して下さる方も多いでしょう。しかし表面上の逆説的表現に神経を逆なでされる方もいるのではないかと私自身が危惧していました。 3、4回の推敲によって大幅に表現をマイルドにして何とか掲載に漕ぎ着けようとしたのですが

    fm963
    fm963 2009/01/21
    「研究というのは世界を相手にした闘いです。解剖学(=構造)や生理学(=機能)、その異常としての病理学や臨床医学。人間という生物に対して「個体レベルでの理解」 実験ノートをプチ論文化 目的、結果、考察」
  • 「頭のよさ」をコンビニの現場から考える - G.A.W.

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    「頭のよさ」をコンビニの現場から考える - G.A.W.
    fm963
    fm963 2009/01/18
    コンビニの発注業務。販売データの蓄積と活用。客を誘導、発見させ、衝動買いさせる売場。頭でデータを解析、売場に反映。販売データの意味を把握、売れる理由。頭のよさは「システムを把握する能力」
  • 野安の電子遊戯博物館:みんなが、みんなを楽しませる(後編)

    みんなが、みんなを楽しませる。 というのは、じつは、日人が得意とするところです。 けっこう誤解されているんだけど、「創作する」能力の高さは、日という文化圏が持つ、最大のアドバンテージのひとつなんです。日ほど、市井の人たちが創作活動を楽しんでいる国は珍しい。 なにしろ、30年以上も前から「コミケ」というイベントがスタートしているわけですよ。ごく普通の人たちが、「自分で何かを作り、みんなを楽しませ」てきた。このイベント、世界中を見回しても、きわめて特異なんですね。 これは、日教育立国だからかもしれません。 日は、それこそ江戸の時代から、庶民が「読み書き算盤」を子供たちに学ばせていたほど、教育熱心な国。町民が町民に向けて発信するコンテンツ(ノンフィクションも、フィクションもありました)が、ごく当たり前のように存在していました。 たとえば「封切り」という言葉が、その

    fm963
    fm963 2009/01/13
    「みんなが、みんなを楽しませる。 という仕組みに、日本のユーザーは敏感に反応できる。これが、日本のゲーム文化が持つ、最大のアドバンテージのひとつ。」
  • 野安の電子遊戯博物館:みんなが、みんなを楽しませる(前編)

  • http://www012.upp.so-net.ne.jp/noyasu/game/first/gameetc2.htm

    fm963
    fm963 2009/01/13
    「商業作品に関して、 それが買うに値するものであるかどうかの指針を 目標として書かれたものが「批評」であり、 商業主義を離れたところで 作品について書かれたものを「評論」である、 と定義することにする。」
  • ゲームはなぜ「面白い」のかというロジック

    ゲームはなぜ「面白い」のかというロジック ~ゲームはなぜ「面白い」かをめぐる試論~ (1997年11月23日更新) [1] を読んでいるとき、背後からそのを読まれるのは、不愉快だ。 だけど、ゲームをプレイしているとき、その画面を見られるのは快感である。 これが、ゲームというメディアが持つ特異性のひとつである。 自分のプレイの結果(あるいは経過)を、自分以外の誰かが認識する。 その瞬間、ひとりでプレイしているとき以上に、ゲームは楽しく感じられるものなのだ。 実際にゲームをプレイしてなくてもいい。 誰かと、ゲームの情報を交換するだけでいい。 「○○の剣は、あの町の北にあるよ」 誰かとそんな会話をするのは、とっても楽しい。 ひとりでプレイしていたとき以上に、それは楽しい瞬間なのだ。 ゲームは、ひとりでプレイするだけでは、その真の面白さを見せてくれない。 自分が体験したこと、あるいは自分が体験

    fm963
    fm963 2009/01/13
    「ぼくたちは、「伝える」ことの面白さに気づいた。 幸せなことに、日本のゲームの作り手たちも、 「伝える」ことのの面白さに気づいている。 だからこそ、日本のゲームは、世界一の座に到達した。 」
  • コツという暗黙知をサイエンスするのだけれども。。。 - naokunxの日記

    何をもって科学的とするのか論理的とするのか先日の友人の質問への答えとして例えばこんな考え方もあるという話自分的にうまくかけなかったのでさらっとななめ読みしてください結局は仮説の塊ってことなんだけどそれを前提にでも前には進めますよって話です。。 あるにはプレゼンの上達のコツとして  ・声を大きく ・スライドを見ない ・テンポを変える の3つだけ意識すれば、プレゼンがうまくなると書かれているらしい。これをサイエンスするには、科学するにはどうするの?という質問です。 まず、科学で証明されるのは全て仮説です当は厳密には何が起きているかはわからないけど原因と結果の相関からある程度確からしいとするわけです まず、この場合の研究の大目的は『効率よくプレゼンを上達させること』 そのために、中目的として『効率よくプレゼンが上達するコツを発見すること』 中目的を示すために『そのコツの科学的正当性を示すこと

    fm963
    fm963 2009/01/12
    「この場合、大変重要なのは、示したいのは 『3つのコツを意識するとプレゼンが相手に理解されやすい』 ということです
  • 対数とはどんな数か?

    これは,「2を3乗すると8である」という意味です.これを見方を変えると,「2を8にする指数は,3である」と言うこともできます.このときの「3」を,「2を8にする指数」という意味を込めて, と書くことにしたのです.つまり log28 は「2を8にする指数」という意味であり,これが,対数の基です.一般には であるとき,「 は, を にする指数」という意味で, と書くわけです.このとき を底とよび,正でしかも1以外とされています.また を真数とよび,元々は でしかも が正なのですから,真数 も正の数ということになります. さて,次に,「2を7にする指数」つまり log27 を考えます.2を2乗すれば4ですし,2を3乗すれば8ですから,2を7にする指数は2と3の間にあるはずです.しかしぴったりした数ではないので,このようなときは仕方なく,log27 のままにしておきます. ところで,次の値を簡単

    fm963
    fm963 2009/01/11
  • Hang Reviewers High / ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

    東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」は、とても親切なであり、まずはそれに感心した。 前作となる「動物化するポストモダン」に限らず、これまで東浩紀の著作のやり方は、主張を固めるための検証作業がともすれば大雑把であるし、また、さほどに関連性が深いとは言えない事例を強引に繋ぎ合わせて一つの流れを意識させようとするものがあった。僕はこのやり方を批判するものではない。むしろ、あざやかに全体の論旨を生み出していくダイナミックさに感銘を受ける。 しかしもちろん、このような書き方は批評の言語としては今の日で例の少ないものだから、読者は彼のやり方に違和感を感じるかもしれない。だが彼がなぜこれを選んでいるかということは、現在に至るまでの東浩紀の批評活動のルーツがすべて収められた「郵便的不安たち#」を読めば明確に分かるはずだ。ここでは簡単に触れるまでにしたいが、要するに彼の動機にはポ

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「彼の動機にはポストモダン化が徹底された現代においては批評がもはや成り立たないという強い危機意識がある。そして、超越的な論理によって社会全体を語ることができない時代には、従来的な言論はオタク的に各分野を追求するしかできなくなってしまう。彼はそれに抵抗している。各分野で閉塞せず、しかも超越的な論理なしでもジャンルを横断できる批評の方法を模索しているのだ。」
  • マンガとアニメーションの間に(6): たけくまメモ

    ■京都精華大学連続講義レジュメ 第六回「マンガとアニメが融合する日」 講師 竹熊健太郎 ●「いつの日にか、カンザスの少女が、父親のビデオで「風と共に去りぬ」を撮る日が来るだろう」 この言葉は70年代後半、大作戦争映画「地獄の黙示録」制作中だったフランシス・コッポラがインタビュー中に述べた発言である。ふつう映画制作には莫大な制作費がかかるが、コッポラのような作家性が強い映画監督にとって、「自分の作品」を作るために数億から数十億におよぶ制作資金をどうやって調達するかが悩みの種であった。 「地獄の黙示録」はコッポラ畢生の大作であり、50億円に達したといわれる制作費を全額「自己調達」した「史上最高額のインディペンデント映画」としても話題を呼んだ。その制作中に受けたインタビューで映画制作の未来について訊かれ、つい「いずれ田舎町の少女であっても、自宅ガレージで大作映画が作れる時代がくる」という自分の「

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「マンガにおける「コマ」の役割とは、第一に物語内の時間を分割し、平面上に再構成(レイアウト)するものである。第二に、読者の視線を巧みに誘導することで、作品における「時間」を読者に追体験させるものである。」
  • マンガとアニメーションの間に(5-2): たけくまメモ

    第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(2) ●『NOTHING WILL BE AS IT WAS』に見る「反物語」 70年代大友の特徴がもっともよく現れている作品として、'77年の『NOTHING WILL BE AS IT WAS』をあげたい。この作品は、自室で口論になった友人を思わず殺してしまった主人公が、死体の処理に困って、ひたすら死体をバラバラにして「処理する」過程を描いた作品である。 この作品では、殺人事件を扱った犯罪ドラマがまず描くであろう「殺人の動機」や「殺人に至る過程」が一切描かれない。冒頭のコマからして自室の畳の上にゴロリと転がった死体のアップであり、その後の処分過程を綿密に、しかし淡々と描くのみである。さらには、犯罪の結果もここには描かれない。作品の中で、アパートの住民が主人公の挙動に不審なものを感じることが描かれるのみで、その後の犯罪の発覚や、逮捕の場面などもま

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「マンガ史的に見た場合、大友作品は「映画的手法」のひとつの終着点であるということができる。徹底して画像の「客観性」にこだわり、線の強弱を抑制し、漫符のような「マンガ的手法」も可能な限り排除する。しかしながら、それが紙という二次元メディアにおける「時間表現」である以上、これはやはり、あくまでもマンガなのである。」
  • マンガとアニメーションの間に(5-1): たけくまメモ

    ■京都精華大学連続講義レジュメ 第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(1) 講師 竹熊健太郎 ●70年代から80年代にかけてのマンガ状況 大友克洋は70年代前半にデビューした作家である。最初に、彼がデビューした70年代から80年代初頭にかけてのマンガ状況を整理してみる。この時期はマンガ界にとっては、空前絶後の大変動期であった。簡単にまとめてみると、 ▲青年誌(ビッグコミック、漫画アクション、ヤングコミック等)の台頭により劇画状況が爛熟する。 ▲オイルショックによる経済不況に加えて、青年誌に年長読者をとられ、「少年チャンピオン」「少年ジャンプ」などの新興少年誌に年少読者を奪われて、「少年サンデー」「少年マガジン」が大幅に部数を落とす。 →マンガ雑誌の世代交代が始まる。 ▲男性読者も巻き込んだ一大少女マンガブームが起こる。 →その中心にいたのが竹宮恵子先生ら「24年組」と呼ばれた女性作家た

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「大友は、強弱の希薄な丸ペンの細い線で、背景と人物を「同格」に描いたのである。大友マンガの客観性はここから生まれたが、これはそれまでの劇画手法ではまずありえない描法だった。そういう描き方をとった場合、普通は作画レベルで「キャラが立たない」のである。 」
  • Hang Reviewers High / 思想地図 vol.1

    「思想地図 vol.1」において、個人的に面白かったのは福嶋亮大による中国ライトノベル状況に関する考察と、韓東賢による「朝鮮学校はヤバい」という伝説から始まる議論だった。前者は僕がしばしば好む「自分の知らないところで何かが起こっている」ということについてのレポートであり、後者は90年代に社会学を楽しんだ僕としては見逃すことのできない現代のフォークロアから始まる話だったので、楽しかったのだ。 しかし最も考えさせられたのは黒瀬陽平による公募論文だった。僕はここで彼が書いているアニメ表現論は優れたものだと思うし、いま書かれるべきものとして正しいと思う。しかし、僕が注目させられたのは彼が自ら表現論を展開する動機として書いている内容だった。それは、現在のアニメ批評に表現論がなく、物語論だけが氾濫しているため「萌えアニメ」のようなものを扱えずに批評は停滞しているのではないかというものだ。黒瀬陽平の整

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「アニメを語ろうとする者がいま、ポストモダンの批評におなじみにある「メタフィクション性から現実社会の問題を指摘する」というパターン化が可能な作品のみを批評の対象としたがっている、ということである。」
  • Hang Reviewers High / ユリイカ 第40巻第5号

    「ユリイカ」にて宇多田ヒカルの歌詞について書いた文章のことを、ここに書こうと思っている間に次の号が出てしまった。そうこうしているあいだに、もうすぐさらにその次の号が出るという。 今売っている号では、僕が「空の境界」について作者の奈須きのこさんに去年の夏行ったインタビューを掲載していただいている。これは僕が初めて奈須さんにお会いしてお話を伺ったときのもので、今になって読んでみるとずいぶん読者としての自分の思いが先走った部分がたくさんあって恥ずかしい。だからインタビューなのにやけに僕が話している部分が多い。何とも恥ずかしいが、時間が経っていることもあって修復のしようがないのでそのまま当時の理解を伝えるものとして掲載していただいた。 しかし見方を変えれば、このインタビューは、僕が現在、全七回上映される映画のパンフレットの中で七回に渡って奈須さんにインタビューを行えることになったきっかけになったも

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「言語は、最終的に伝達不可能性を抱えている。その上で我々が他者と歩み寄るというのはどういうことなのか、受け手は作家が送ったものをどう享受すべきなのか、僕はそれについて考える上で、今、言葉や物語が流通す
  • 物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ

    月初めということで、基に戻って考察しよう。ふつう「主人公」は、「主」人公なのだから物語の中心にいるはずだ。ところが最近、ある種の物語ではドーナツ化現象が起こっている。そこではむしろ、主人公は活躍する機会を奪われているし、読者の感情移入もしづらい。 例えば、最近のアニメを見てみよう。『涼宮ハルヒの憂』の主人公キョンは、やたら語りがくどい。『Fate/stay night』の主人公衛宮士郎はやたら死にまくる。『ひぐらしのなく頃に』の主人公前原圭一も最初の鬼隠し編ですぐ死ぬし、物語と読者にとっては「存在自体がイカサマみたい」だろう。他にも『NHKへようこそ!』はひきこもりだし、『ゼロの使い魔』は「犬」だ。 ここで特徴なのは、主人公の弱体化に反比例してヒロインが強力になっていることだ。いわゆる「ツンデレ」型ヒロインが対置されていることが多い。涼宮ハルヒ、遠坂凛、北条沙都子、ルイズなどは非常に典

    物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「主人公が背景化。ストーリーの興味がテーマからモチーフに。のび太の「ダメ」は、ドラえもんのひみつ道具を見せるための「小道具」。「システムの一人勝ち」。舞台で主役を演じるのは今や舞台そのものなのである」
  • Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。

    昨日、『零崎軋識の人間ノック』を読んでつくづく考えた。いやあ、キャラクター小説って、当におもしろいですね。 零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス) 作者: 西尾維新,take出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/11/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 66回この商品を含むブログ (236件) を見る ぼくだけではないと思うが、いったんあるキャラを好きになってしまえば、そのキャラがほかのキャラと絡む、それだけである種の快楽性が生まれる。『人間ノック』でいえば、玖渚友がちらっと出てきてわがまま言っているだけで何となく楽しい。 『涼宮ハルヒの憂』でいうなら、ハルヒとキョンがいつものように絡んでいるだけで一応おもしろいし、評判のよくない〈ネギま!〉の新作アニメも、お馴染みのキャラが出ているだけでそれなりに楽しく見れたりする。 涼宮ハルヒの憂 1 通常版 [DVD] 出版

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「「キャラ萌え」にかんする「抑圧」が薄れたことによって、本当に「物語」が衰え、作品が断片化したのかということも、慎重に考えていくべきだろう。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「そういった事を踏まえて、もし僕が努力によって力を内面化する/与えられた特殊な力を外部に備えるという境界線を引くなら、それは70~80年のどこかになるだろう。」
  • ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 1 名前: ネチズン(アラバマ州) 投稿日:2008/12/25(木) 02:05:49.62 ID:A5/Fu8Gk ?PLT 視聴者の欲望をいかに捉えるかを、常に考えているテレビアニメの監督たちに、時代の欲望を見通してもらう連載企画「アニメから見る時代の欲望」。 今シリーズは「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」の水島精二監督にお話をうかがう。 「売れているもの」には脊髄反射的なアンチがいる 批判でも、種類があると思うんです。それこそ“クラウンへの期待”みたいな、「もっとこうして欲しい」 という声ならばむしろ積極的に聞きたいのですが、一番最初に僕ら制作スタッフに聞こえてくる声は そうじゃないですね。「何だあれ」とか、「かっこ悪い」とか、“脊髄反射”みたいな反応なんです。 ―― 脊髄反射だなと

    ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 : 痛いニュース(ノ∀`)
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「--脊髄反射だなと思うのは、どんなところですか」「作品を見て批判をしているわけではないんです。フィルムを観て 物語を追おうとしているのではなく、絵だけを追って、見た目だけで批判をしてくるのですね。」