タグ

ブックマーク / furuyatoshihiro.hatenablog.com (8)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●新アニメ。いまのところ、『おくさまが生徒会長!』『GANGSTA.』『アクエリオンロゴス』『城下町のダンデライオン』『クラスルームクライシス』『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』『Charlotte』『ガッチャマンクラウズ インサイト』の第一話目を観た。 今期、最も大きな期待と不安を抱いている「ガッチャマン…」以外では、期待をもてそうなのは「クラスルーム…」くらいしかない感じ。ただ、絶対に最低だろうと予測していた「下ネタ…」が、案外まともであることに驚く。とはいえ、ギリギリの線をいっている感じなので今後はどうなるか分からない。 ●『ガッチャマンクラウズインサイト』第一話。前作の敵は「純粋な悪意」だったけど、今作の敵は「空気(あるいは、かわいいは正義)」という感じなのだろうか。「かわいい」のようなポジティブな感情が人々を染め上げることで、その場にNOと言えない空気がつくり出される。か

    ■ - 偽日記@はてなブログ
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●ゴッホがもし、弱度の色覚異常だったと仮定すると(そうであった可能性があると言われているらしい)、ゴッホには自分の描いた絵がこのように見えていた(ゴッホはこのようなものとして絵を描いていた)はずだ、というシミュレーションをしている記事をみつけた。 http://asada0.tumblr.com/post/11323024757 ちょっと画像が小さすぎるように思うのだが、これはとても面白い。確かにそうかもなあと、納得してしまう部分もある。全体的に、物の描写と三次元的な空間表象という観点からは補正後の作品の方がすぐれているように見える。それと、補正後の作品の方が、常識的というか、普通に見やすい感じになっている。 補正後の作品は、ゴッホに特有の、あの気持ち悪い感じの黄緑が黄色に近い方向で抑えられ、いかにも唐突な感じで出てき過ぎる赤系の色が、茶色に近い方向で抑えられている気がする。 花畑を描いた

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2011/10/18
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●『輪るピングドラム』で気になるのが、サネトシの持っているリンゴにアンプルのマークがついていること。苹果、晶馬、冠葉、多蕗の線が「事件」によってつながり、病院(医者)、陽毬、サネトシの線が何かしらの「薬品」でつながるとすれば、高倉家の両親が所属していたという「犯罪組織」を、宗教的なものというより製薬会社とか研究機関とか、そういうやばいクスリを取り扱う組織という感じで考えれば、二つの線はつながる。 「女神さまの松明の灰」っていうのは、(昨日書いたことと矛盾するけど)何かしらの教義や秘儀と考えるより、人が踏み込んではいけない領域にまで踏み込んだ(「生命」に関する)「クスリ(あるいは医療技術)」だと考えるとわかりやすい。人の命を奪う「事件」と、人に命を与える「クスリ」とのあやうい関係性。ピングドラムが無償で自らの命を与えるもの(蠍の火)であるのに対して、闇ウサギは(禁じられたものである)「クスリ

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2011/10/03
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●『輪るピングドラム』第12話。 ほぼ、そのまんま地下鉄サリン事件。しかも父が「犯罪組織の指導的幹部だった」というのも、予想通り過ぎて逆に意外なくらい。ただ、事件の具体的内容は明かされてはいないが…(爆破っぽい)。あと、父が二人いるみたいな(父と父がうなずき合う)妙なモンタージュがあった。いや、ポケベルに連絡入れる人も含めると三人かも…。 そう言われてみれば…っていう感じだけど、あのペンギン帽子の顔は例の教祖になんとなく似ている(ペンギン帽は神棚にまつられているし)。それに、四十歳以上の人なら、そこからオウムシスターズが選挙運動の時に使った、あの「象のかぶりモノ」を連想しもするだろう。ペンギン帽で変身した時の陽毬(プリンセス・オブ・クリスタル)が、白のハイレグのレオタード姿だというのも、「あの時代」っていうことなのだろうか(どうでもいいことだけど、一瞬だけ復活した岡夏生はもう見なくなって

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2011/10/01
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●『狂気の海』(高橋洋)をDVDで。『おろち』がとても面白かったので、ぼくのなかではまた高橋洋ブームが起きつつあるのだが、しかし、この『狂気の海』は、ぼくの側のそういう期待をはるかに超えるような次元でぶっとんでいた。特典映像としてついているトークで高橋洋は、強く動揺させられるような作品を見せられると、思わず「ひどい」という言い方をしてしまって、貶しているのと勘違いされてしまうのだが、そういう言い方でしか言えないくらい衝撃を受けているということなのだ、というようなことを言っていた。この『狂気の海』もまた、そのような意味でめちゃくちゃに「ひどい」映画だ。ほんとにひどくて唖然とする。ほんとにひどくてうきうきもする。カットがかわるたびに予想を上回るひどい展開が待っている。今、この「ひどさ」と拮抗し得るのは、「明日晴れるのなら芥川賞は俺のものだ」と確信してしまう磯崎憲一郎の「胡散臭さ」くらいのものだ

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2009/09/11
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●神奈川県にあるぼくの実家は川の近くで、河原は重要な遊び場だった。フナとかザリガニを捕るというだけでなく、昆虫をつかまえたり、秘密基地をつくったり、木登りをしたり、凧揚げしたり、エロを拾ったりするのも河原だった。その川を下流に下って歩くと三、四十分で海に出る。この距離が近いと言えるのかどうかは微妙だけど、とにかく海まで歩いてはゆけた。高校は、その海沿いにあった。 神奈川で海の近くに住んでいるということは、川は常に海の方向へ(南へ)向かって流れているということだ。多少蛇行している場所があったとしても、全体としては揺らぐことなく海の方向へ向かっている。八王子へ越して来て二十一年になる。実家に二十一歳まで住んで、八王子へ越して四十二歳の現在までもう二十一年になるのだった。河原好きは子供の頃から刷り込まれているので、たびたび河原を散歩する。でも未だ慣れないのは、かなり大きな河川が、必ずしも南へ向

    ■ - 偽日記@はてなブログ
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●昨日、下北沢トリウッドで観た『亀』(池田将)について。 男性の二十代というのは、なんというか「とりとめがない」感じだ。体力はあるし、いろいろやってみるのだが、やることにひっかかりというのか、手応えのようなものが感じられず、どこか空回りしているような感触で、こんなことでいいのかと思いつつも、目の前には、茫洋として具体性を欠いた、しかし膨大な時間がひろがっている。「とりとめのない感じ」は、精神的なものというよりも、身体的なある状態として、身体そのものであるような「気分」として、常に傍らにある。二十代は、孤独感もとりとめがなく、空しさもとりとめがなく、性欲もとりとめがない。それは過剰ではあるが、(十代の頃のようには)爆発的ではなく、どこか不発のまま、脇道へ逸れて流れていってしまうような感触だ。そして、そういう気分で、そのような身体的な感触のなかで二十代を過ごしてきたということを、四十歳にもなる

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2009/01/08
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●昨日の日記を書いていて思ったのだが、「占い」というのは「宇宙人好き系」と「幽霊好き系」が交錯する、とても興味深い領域なのではないか。占いの体系そのものは、個人の感情や欲望、記憶などとは切り離された、世界の自動的な運行の法則の追求のようなもので、だからそれは、天体の運行などと重ねられる。だから、その体系そのものの追求は、超越的なもの、超俗的なものであり、個人の現世的な利害とは無関係に世界の真理としてある法則の追求としてある。これは、きわめて「宇宙人好き系」的な探求であろう。 しかし実際のところ、占いを必要とし、占いを信じる人々が欲するのは、多くの場合そのような体系ではなく、自分自身と世界との関係において起きる、自分と世界の軋轢の調整であろう。それはあくまで、自分のまわりに起こる、世界の不可解さや理不尽さを、自分の感情や記憶としてどのように受け止めるのか、ということに関わっている。これはきわ

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    foaran
    foaran 2008/12/21
  • 1