宇治市木幡東中の許波多神社(黒川宰宮司)は、数々の歴史資料をもとに、由緒やルーツなどを解説した新版リーフレットをこのほど発行した。A4版カラー・6ページ。社務所で無料配布している。 今年1月に開かれた地元の公民館講座「こはた大発見」で「なぜ許波多(こはた)神社が二社あるのか」のテーマで講演した龍谷大学名誉教授の小寺慶昭さんが、リーフレット作成に当たり、これまでにない新たな視点から寄稿した。 許乃国(コのくに、宇治)の波多(ハタ、横)にあることから名付けられた同社は、飛鳥~平安時代に起源がある。927年にまとめられた『延喜式神名帳』に記載がある式内社で、その中でも最高級に位置する数少ない「名神(みょうじん)大社」でもあった。 小寺さんは、多くの神社が南向きに建てられているのに対し、同社が東を背にして西向きになっている理由を「天子は南面す…という大陸の考え方が入ってくる前の話だからだと思う。古
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