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儒教と国語・国文学に関するfunaki_naotoのブックマーク (3)

  • 平安朝文学と儒教の文学観 源氏物語を読む意義を求めて - 工藤 重矩(著)

    工藤 重矩(著) A5判  312頁 上製 定価 6,500円+税 ISBN 978-4-305-70740-6 C0093 在庫あり 奥付の初版発行年月 2014年10月 書店発売日 2014年10月20日 登録日 2014年09月24日 解説文学は何の役にたつかという問への我が国の思考の跡をたどる。平安時代、儒教的価値観の埒外にあった和文学は、存在意義をどう主張してきたか。和文学の側の苦闘の跡を儒教の文学観との関わりを通したどる。 紹介平安時代、儒教的価値観の埒外にあった和歌や物語は存在意義をどう主張したのか。文学は何の役にたつかという問への思考の跡を辿る。 「文学は何の役にたつか」という問への、我が国の思考の跡をたどる。 平安時代、古今和歌集にしても源氏物語にしても、和文学(和歌や物語等の仮名の文学)がその存在意義を主張しようとすれば、その障壁は常に儒教の価値観であった。平安時代の和

    平安朝文学と儒教の文学観 源氏物語を読む意義を求めて - 工藤 重矩(著)
  • 思想史のなかの日本語 [978-4-585-21041-2] - 3,080円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

    古来、東アジア世界さらには西欧との異文化接触にさらされてきた日。 人びとは文化的他者との邂逅の中で、その思想とことばを鍛え続け、日の言語空間、そして「知」の制度を作り上げてきた。 そしてまた、この「他者」という問題意識は一方で「純粋な日語」というものを創造する装置ともなっていた…。 近世から近代日にかけての日語の成立に対する歴史的な視点、そして、それとともにたえず編制され続けてきた「思想の言語」をとらえなおし、「日語とはなにか」という問題を論じる意欲作。 はじめに 第Ⅰ部 訓読と日の思想 一 訓読の思想史 一 訓読とは何か 二 近代日の書き言葉の起源 三 訓読に向けられた視線 四 訓読法の変遷は何を物語るか 五 訓読の思想史への視座 二 日思想史の課題としての訓読 一 訓読は「時代遅れの代物」か 二 〈文化の翻訳〉としての訓読 三 近代日と漢字、漢文 四 転換点としての

  •  近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相 - はぐれ思想史学徒純情派

    興味のある方はPDFファイルでダウンロードして下さい。 1. はじめに ◎ 皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖 →従来の研究を振り返ると、竹岡正夫(1963)・戸川芳郎(1980)・櫻井進(1982・1983)・野口武彦(1993)・浜田秀(2000・2002)・肱岡泰典(1996)などにより、皆川淇園の言語論(「開物学」)をめぐる方法へのアプローチがなされてきた。 →皆川淇園における「開物学」は難解ではあるが、荻生徂徠の「古文辞学」を批判的視座として見据えつつ、〈文〉・〈字〉・〈声〉への根源的解釈を切り拓く。 →皆川淇園の「開物学」は、富士谷成章・富士谷御杖父子も、多大な影響を受けていることを、多くの諸氏が述べている。 →もちろん、「影響」という観点からいえば、かかる指摘は間違いないであろう。しかし問題は、どのようなパースペクティヴで考察すればよいかということ。 →報告では、間テクスト的

     近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相 - はぐれ思想史学徒純情派
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