ベントン彫刻機による母型彫刻に着手した三省堂は、昭和6年(1931)から昭和20年(1945)にかけて、14年間で約38,500個の彫刻母型を完成させた(同社歴史資料の「三省堂パターン製作年代表」をみると、昭和21年以降もパターンの製作はつづけられている[注1])。明朝体漢字は「三省堂常用3000字」にしぼって彫刻をすすめたとはいえ、膨大な数の母型をあらたに彫る、一大事業だった。 「三省堂常用漢字3000字表」清刷り(部分/三省堂印刷蔵) しかし、昭和5年(1930)7月に三省堂の代表取締役社長に就任した亀井寅雄や、同社の活字を牽引していた今井直一には、胸をいためていることがあった。活字のコピー問題だ。 苦心さんたん、しかも莫大の費用と時間とをかけて作りあげた精巧無比の母型も、コッピーしようとすれば少し精度は劣るとしても、殆ど見分けのつかない程度に模造することが、すこぶる容易なのである。そ