タグ

永原康史と組版に関するfunaki_naotoのブックマーク (4)

  • 文字は語る「永原康史さんに聞く デジタルフォントがもたらす楽しみ」 - 雪景色

    取材・執筆を担当している月刊DTPWORLDの連載企画「文字は語る」、2008年7月号*1ではグラフィックデザイナー永原康史さんに「デジタルフォントがもたらしてくれる新たな文字の楽しみ」について語っていただきました。 * * * * 『日語のデザイン』というがあります。1990年から電子メディアのプロデュースや制作を手がけ、阿弥光悦マルチメディア展示プロジェクトや秀英体展示室といった展覧会、展示のアートディレクションにも携わってきた永原康史さんの著書です。 デザイン作業にコンピューターが使われ始めた90年代後半、だれでも簡単にタイポグラフィの業務に携われるようになったことによる文字組みの質の低下への危惧から、改めて日語組版のルールを作ろうという機運が生まれました。そういった時期に永原さんが取り組んでいたのは、偶然にもデジタルメディアで日美術を再考するようなプロジェクトばかりだった

    文字は語る「永原康史さんに聞く デジタルフォントがもたらす楽しみ」 - 雪景色
  • Walk in Osaka 永原康史/タイポグラフィーとプログラミング(ウェブデザイング2006年7月号)

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 ウェブデザイングの連載エッセー「デザインにできること」の60回目だ。活版の組版からヒントを得てプログラミングしたという「アルゴリズミックタイポグラフィシステム」が説明されている。ぼくには理解できない部分が多いのだが、そのシステムによって組版されたという書籍『デザイン言語2.0』の表紙の写真に興味をそそられた。そこには、タイポグラフィーを追求しつづけてきた、永原氏ならではのデザインが見える。伝統的な組版が現在のプログラミングと融合して、今まで見たこともないタイポグラフィーが表出している。そこには、伝統的な活版の痕跡が確かに見えるので、クラクラっと目眩のような感覚に襲われた。かつて活版の現場に居た者として・・・。 しかし、ぼくが氏のエッセーで惹かれた部分は他にある。ちょっと長いが引用してし

  • Walk in Osaka [新デザインガイド]日本語のデザイン / 永原康史著の日本語文字の歴史

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 今月になって読んだ松岡正剛著『17歳のための世界と日の見方』の中で特に興味が惹かれたのは、もともとの日語である大和言葉には文字がなかったということだった。中学か高校の日史ですでに知っているはずのことだと思うが、ぼくが忘れているのか、民族が文字をもつことの関心を持たずに今まできたからに違いない。書は 「日語はもともと文字を持たない言語である。」(p20) と始まり、倭語が文字を獲得し、発展させる歴史が書かれている。松岡氏の著書でかき立てられた興味に書は十分に答えてくれた。グラフィックデザイナーを対象にした日文字の教養書であるが、一般の人でも文字の発展に興味のある人なら楽しめる内容となっている。歴史的な「書」の図版がふんだんに掲載されているので視覚的にも楽しめる。 「はじめに

  • The Beach : July a 2002

    20020715 新幹線で永原康史「日語のデザイン」美術出版社。すごく見通しのいいだった。古事記から明治以降の活字文化までを一気に読ませる。 そこで強調されているのは、古今和歌集以降の「和様」の系譜、つまり、ひらがなの「連綿」と「ちらし」の系譜だ。 「連綿」とは、単に文字を連ねることではなく、文字をカタマリ化し、分節化する手法であり、分かち書きの手法だ。分かち書きによって、抑揚やリズムが空間に乗せられた。 さらに、「ちらし」によって文字がレイアウトされ、空間的思考が準備された。 非言語コミュニケーションと文字を結びつけようとするこうした考え方は、ジェスチャーを研究するものにとっては魅力的だ。 古代の倭語が身振り手振りをまじえたプリミティヴな言語であったのに対し、漢語の導入は自然な身振りを奪ったとする著者の考え方は大胆な仮説だと思うが、一考に値する(ちなみに、この考えを検証するには、ピジ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/12/09
    「日本語のデザイン」
  • 1