20020715 新幹線で永原康史「日本語のデザイン」美術出版社。すごく見通しのいい本だった。古事記から明治以降の活字文化までを一気に読ませる。 そこで強調されているのは、古今和歌集以降の「和様」の系譜、つまり、ひらがなの「連綿」と「ちらし」の系譜だ。 「連綿」とは、単に文字を連ねることではなく、文字をカタマリ化し、分節化する手法であり、分かち書きの手法だ。分かち書きによって、抑揚やリズムが空間に乗せられた。 さらに、「ちらし」によって文字がレイアウトされ、空間的思考が準備された。 非言語コミュニケーションと文字を結びつけようとするこうした考え方は、ジェスチャーを研究するものにとっては魅力的だ。 古代の倭語が身振り手振りをまじえたプリミティヴな言語であったのに対し、漢語の導入は自然な身振りを奪ったとする著者の考え方は大胆な仮説だと思うが、一考に値する(ちなみに、この考えを検証するには、ピジ
FOCUS=グラフィックデザインの現在 永原康史 . グラフィックデザインとタイポグラフィ タイポグラフィの新しい定義 言葉を獲得するのは本能であるという。食べ物を嗅ぎ分けたり、異性を求めたりするように、人は言葉を使う。しかし、文字は記号であるから学習してはじめて使えるようになる。言語を持たない集団はないが、文字を持たない集団は結構ある。普通に字が書けて読めるという人は全人類の何%ぐらいになるのだろう? ひょっとすると過半数を割っているのではないか。 日本語は、もともと文字を持っていなかった。ご存じの通り、日本の文字は中国から輸入したものである。言語は日本語であるが、筆記の様式は中国から学んだことが多い。その中で、世界的にみてもかなり珍しい配列順に読まないルールも生まれている。漢文の読み下し文である。「子曰、学而時習之」と書いて、「子(し)曰(いわ)く、学んで時に之(これ)を習う」と読む。
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