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食と批評に関するfunaki_naotoのブックマーク (3)

  • 料理本批評の本は、「食べたくなる本」であるが故に「考えたくなる本」だった | 文春オンライン

    料理批評のは、「べたくなる」であるが故に「考えたくなる」だった 小松理虔が『べたくなる』(三浦哲哉 著)を読む 『べたくなる』(三浦哲哉 著) 「うまさを語ると野暮になる」と言いながら大物俳優が酒を飲むコマーシャルがあったのを覚えているだろうか。ああ、確かにそうだな、語ることは野暮だ。直感で飲み込めばいいのだ、などと得意げになっていたのは何を隠そうこの私だが、しかしそんな私も、震災と原発事故を福島県いわき市で経験し、野暮であるはずの「をめぐる言葉」に翻弄された一人である。私たちは皆、をめぐる言葉を通じて生活を取り戻そうとしたし、どのを選び、どのを選ばないのかを考えた。を語ることは野暮なんかではなかった。 書は「料理批評」のである。これまでに数多出版されてきた「料理」に書かれた言葉や、言葉を生み出すに至った料理家の思想や来歴を紹介する。批評のテキストだがと

    料理本批評の本は、「食べたくなる本」であるが故に「考えたくなる本」だった | 文春オンライン
  • 「動き、変化し、過ぎ去り、消える──そんな食の側面」(あとがき) | みすず書房

    「動き、変化し、過ぎ去り、消える──そんなの側面」(あとがき) 三浦哲哉『べたくなる』 2019.03.11 肉ならば肉を、パンではさみ、覆い隠す。それはある意味では擬態である。頭では、もちろん、それがたかだか肉をパンではさんだものにすぎないことがわかっている。けれども、唇と舌は最初にパンと触れるから、パンに対してなされる強い加減の、あむっという噛みしめる動きが反射的に起こり、すると、ふだんよりも深く、歯は肉に突き刺さってゆく。そのあとも、口の中に留まるパンのかけらの感触によって、噛みしめる動きが弱まることはない。だから、具材の風味がいつもよりも奥深くから引き出される。そのとき生まれている「差」が、驚きをもたらす。おそらく、ここで私たちは、無意識の営みであるところの「噛み」、「飲み下す」という習慣の在りようまでも、再発見することになるのではないか(「16 サンドイッチ考」) 取り上げ

    「動き、変化し、過ぎ去り、消える──そんな食の側面」(あとがき) | みすず書房
  • 『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評 - ザ大衆食つまみぐい

    気どるな、力強くめしをくえ!「大衆堂の詩人」といわれた、後期高齢ステージ4癌男、エンテツこと遠藤哲夫のブログ。 高知の堀内さんから、高知新聞に載った共同通信配信の書評のスクラップが届いた。評者は南陀楼綾繁さんで、この配信があったことはツイッターで知っていたが、どの地方紙に掲載になっているかも、どんな内容かも把握のしようがなかった。 「新書だより」のコーナーに「ありふれたをおいしく」のタイトルで、小泉武夫さんの新著『缶詰に愛をこめて』(朝日新書)と共に『大衆めし 激動の戦後史』が取り上げられている。8割ぐらいは、拙著のことだが、ありふれたクックレス品ということで、共通するところがある。 南陀楼さんは、名前がアヤシゲだが、かれの書評は、とくに好きの方たちのあいだで定評がある。それは、おれは、どちらかというと、ライターとしての「南陀楼綾繁」より、編集者として仕事をするときに使用する名の

    『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評 - ザ大衆食つまみぐい
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