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ブックマーク / note.com (2,086)

  • あとがきのようなもの|針とら

    『絶望鬼ごっこ さらば地獄鬼ごっこ』発売しました。 24巻続いたシリーズも、ようやくフィナーレとなりました。 1巻が発売されたのは9年以上も前で、僕が新人作家だったのはもう一昔前のことになってしまいましたが、とりあえず一区切りついたいま、駆けだしのころの気持ちを忘れないうちに、ここに残しておくことにします。 作品の中身とはまったく関係ないので、読者の方はパスしてもらえるとうれしいです。 読者の子たちからたまに、「絶望鬼ごっこはどんなきっかけで思いついたんですか?」と質問を受けるのですが、僕は結構返事に困ってしまいます。 僕がデビューした当時の児童文庫は、男子向けの企画を通すことが、非常にむずかしい状況でした(今も変わっていませんが)。 公募に完全KYな作品を送りつけて落選した僕に、担当についてくれた編集者は、「男子はを読まないようです」「男子向けはむずかしいです」と繰り返し説得してくれま

    あとがきのようなもの|針とら
  • 太鼓が紡ぐ一揆の記憶 郡上宝暦義民太鼓の軌跡|小野 和哉

    岐阜県郡上市の郡上おどり、白鳥おどりといった盆踊りにて長く歌い継がれている、歴史事件がある。それが、宝暦4(1754)年に美濃国の郡上藩にて起こり、その後5年間にも渡って続いた郡上一揆(宝暦騒動)だ。盆踊りでは、いわゆる”口説き”という七七が繰り返される句型で、騒動の顛末が滔々と語られる。踊り子たちはその調べに任せて身体を動かすうちに、自然と250年以上前の農民たちの血湧き肉躍る壮絶な戦いについて知ることになる。 郡上市各地には、各部落に義民と呼ばれる一揆の立役者たちの供養碑が立てられている。この地に住む人たちにとって、郡上一揆とはどういう意味を持つのだろうか。一揆についてあらためて 調べてみると、その内容の凄まじさに驚く。発端となったのは、藩の税制改革で年貢収取を強化するために新しい年貢徴収法を採用したことにある。農民の反発は数百人規模の藩に対する強訴(領主などに対して集団で訴え出るこ

    太鼓が紡ぐ一揆の記憶 郡上宝暦義民太鼓の軌跡|小野 和哉
  • シンセ歴42年目で知ったHPFの魅力|みくばんP

    シンセサイザーを始めて42年目に突入してしまいました。ぎゃあ。 実は最近になって、ようやくHPF(ハイパスフィルター)というパラメータの面白さを知ったので、恥を忍びつつシンセ遍歴とともに顛末を書き殴ってみます。 Roland SH-101アナログシンセの特徴としてよく語られる、「ミヨミヨ」とか「ビヨーン」などの擬音で表現されるサウンドは、たいてい低周波を通して高周波を削るLPF(ローパスフィルター)のパラメータ、カットオフとレゾナンスの組み合わせによるものです。 フィルターにENV(エンベロープ)を関連付け、カットオフに時間的な変化を与えることで、あの「ビヨーン」が生まれます。 僕が最初に所有したRoland SH-101のフィルターにはLPFが搭載されていました。 画面はPLUG OUTのSH-101当時、同じRoland製モノフォニックシンセの上位機SH-2や、初の音源付きシーケンサー

    シンセ歴42年目で知ったHPFの魅力|みくばんP
  • 名古屋へのいろんな誤解を解いてみる|みくばんP

    筆者は愛知県犬山市に生まれ、小中高と西三河で過ごし、大学入学と同時に豊橋市でひとり暮らしを始め、名古屋市の企業に就職して以来、人生の半分以上を名古屋市民として暮らしています。 そんな愛知県でしか生活していない筆者が、名古屋について語られていることの実態をオブラートに包むことなく書き殴ったものです。ご笑納ください。 前提通常わたしたちが日常会話において「名古屋」という語句を使用する場合、自治体名である愛知県名古屋市を指すケースは少なく、その多くが「名古屋国(名古屋市も含む)」を差していると思われます。 ついては稿における「名古屋」も、基的には「名古屋国」を指す概念として使用いたします。 地理名古屋国の範囲は、他地方の人に「名古屋の方から来ました」と言えるあたりとなります。 具体的には、名古屋駅から在来線で 1時間以内に通勤できるエリアであれば、「名古屋国」の許容範囲と見なされます。 特筆

    名古屋へのいろんな誤解を解いてみる|みくばんP
  • 名古屋国民として名古屋めしを語ってみる。|みくばんP

    というお題ですが、「穴場の店はここだ」みたいなガイド的なものは期待しないでください。 生まれて50年以上名古屋国で生活する者が、地元の生活などについて書き殴るだけのもので、もしかしたら「名古屋国民の生活のリアル」のタイトルが相応しいかもしれません。 ちなみにここで言う「名古屋国」の国土は、他の地方の人に「名古屋の方から来ました」と言える範囲です。 ご承知おきください。 定義についての詳細はこちらの投稿をご参照ください。 平均点の高い飲の実家は東京都新宿区の高田馬場にあります。 結婚して20年ですが、帰省した時は、家族と離れて山手線や中央線、都電荒川線に乗って、ふらりとべ歩きに出かけることがあります。 ところが飲店に入って、オーダーしたものに箸をつけて「あれ?」と思うことがたまにあります。 つまりその、あまり美味しくないんです。 僕が名古屋の味付けに慣れているから、というわけじ

    名古屋国民として名古屋めしを語ってみる。|みくばんP
  • 戒名製版師のひとりごと |三毛猫かずら

    クリエイター:三毛かずら 管理:秋谷りんこ の二人で共同運営しているアカウントです。主に、絵、イラスト漫画を載せます。よろしくお願いします。絵、イラストの無断転載、無断使用、AI合成はお断りします。 秋谷りんこメインページ→https://note.com/rinko214

    戒名製版師のひとりごと |三毛猫かずら
  • 【まえがき全文公開】東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』|KADOKAWA文芸「カドブン」note出張所

    臨床心理士・東畑開人さんの最新刊『雨の日の心理学』は、職場で、家庭で、身近な人のこころをケアする人のための心理学入門。 「雨の日」とはそもそもどういうことなのか? まえがきを全文公開します。 まえがき――雨の日のガイダンス こころのケアははじめる●●●●ものではなくて、はじまってしまう●●●●●●●●ものである。 つまり、自主的に、計画的に、よく考えて契約書にサインしてから開始するものではなく、受け身的に、期せずして、否が応でも巻き込まれてしまうものです。 よく晴れた休日に散歩に出かけたら、突然大雨が降ってくるようなものです。そういうとき、僕らは当初の予定を変更して、とにもかくにも雨宿りをできる場所を探したり、傘を買ったりしなければいけなくなります。 同じように、ある日突然、身近な人の具合が悪くなる。 子どもが学校に行けなくなる。パートナーが夜眠れなくなる。老いた親が離婚すると言い出す。部

    【まえがき全文公開】東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』|KADOKAWA文芸「カドブン」note出張所
  • interview Ambrose Akinmusire:自分自身のブルース、2020年代のブルース|柳樂光隆

    2010年代後半に入ってから、アンブローズ・アキンムシーレの影響力を徐々に感じるようになっていた。数多くのインタビューを行う中で実際に名前を出されることも少なくなかったし、若手の作品を聴いたときにそのサウンドから感じることも何度もあった。日のジャズミュージシャンと話していても彼の名前が出ることがあった。いつしか確信に変わった。 そもそもアンブローズがリリースする作品がいちいちすごかった。2011年の『When the Heart Emerges Glistening』以降、どの作品も他の誰の作品にも似ていなかったし、その後、作品を重ねても、それは変わらなかった。現代のジャズを構成する技術や理論など、様々な要素が随所に含まれてはいて、中にはラッパーが参加したものだってあるし、ベッカ・スティーブンスが参加した歌ものだってある。でも、アンブローズはそれらを比類のないものとしてアウトプットしてい

    interview Ambrose Akinmusire:自分自身のブルース、2020年代のブルース|柳樂光隆
  • 高橋智子『モートン・フェルドマン/〈抽象的な音〉の冒険』|KAZE

    ☆mediopos-3071  2023.4.15 いわゆる「現代音楽」というのは 音楽そのもの 音そのものの芸術的形式への あくなき問いかけだと理解しているが そのなかでジョン・ケージとならんで 忘れることのできない作曲家が モートン・フェルドマンである フェルドマンは 図形楽譜を発明し 演奏時間四時間を超える長大な楽曲を書いたが 彼はどんな音楽を求めていたのだろう ジョン・ケージをはじめ同時代の作曲家や 抽象表現主義の画家たちと深い関わりを持ち ミニマル音楽やアンビエント音楽に少なからず影響を与え ベケットなどとも協働した・・・ などそのフェルドマンに対するイメージは多彩であり しかも時代とともに 一九五〇年代の図形楽譜から 一九六〇年代の自由な持続の記譜法へ そして一九七〇年代前半の様々な変化の後 一九七〇年代前半後半には静かで長大な フェルドマンの音楽のイメージを決定づけた作品など

    高橋智子『モートン・フェルドマン/〈抽象的な音〉の冒険』|KAZE
  • フィルム撮影の仕組みとフィルムについてメモ|okazu

    フィルムとフィルム撮影について調べたのでメモします。 間違っている部分などがありましたら是非ご教授ください。 参考文献についてはReferencesのところに載せています。 フィルムはフィルムでも少し映像寄りのフィルムについて扱いたいと思います。 1.1 フィルムとは フィルムとは写真や映像を、感光材の化学反応を利用して記録するメディアです。このような記録メディアはフィルムの他にもあります。アスファルトを感光材料にして8時間ぐらいかけて一枚の写真を撮影するものや、銀メッキにした銅板を感光材料にイメージを記録するダゲレオタイプと呼ばれるカメラがフィルムの前に開発されました。乾板と呼ばれる感光材料でガラス板に写真乳剤を塗布したものなどもありました。 後に感光材料等が改良されていき、現在の写真フィルムにつながる、柔らかくて、巻き取って扱えるフィルムが出来上がりました。イーストマン・コダック社から

    フィルム撮影の仕組みとフィルムについてメモ|okazu
  • 渋谷のレコード屋の社長の雑記|note

    【渋谷の歴史 vol.1「レコード屋の街、宇田川町の歴史:刑務所と音楽の交差する歴史」】 【渋谷の歴史 vol.1「レコード屋の街、宇田川町の歴史:刑務所と音楽の交差する歴史」】 *写真は「渋谷の記憶 写真で見る今と昔」から レコード屋を始めて約30年、渋谷に毎日来るようになっても約30年経ちました。 とは言え考えてみると渋谷の地元の繋がりも今までは非常に希薄でした。渋谷という土地に今まで助けられてきたのに何も貢献できていなかったと反省しておりました。 そして渋谷の歴史もほとんど知らなかったので良い機会だと思い色々と調べて見ました。 【宇田川町には刑務所

    渋谷のレコード屋の社長の雑記|note
  • smc PENTAX-FA 28-90mmF3.5-5.6について|夢望庵 / Mubou-an

    レンズ交換式カメラの、特に入門機のキットレンズというのは、廉価な入門機の値段を引き上げない低コストかつ、ご新規さんに「○○のカメラ駄目じゃん」と思わせてはならないクオリティが求められ、数も大量に世に出る、メーカーの顔となる偉大なレンズです。 なので、「マイナーな入門標準ズーム」って、あんまり多くはないです。 それでも、マイナー入門標準ズームというのが、なくはない。 PENTAXでいえば、smc PENTAX-FA 28-90mmF3.5-5.6。80mmはよく見るんです。90mm? なんというか、「まじで見たことない」というほど超マイナーなわけじゃなく、中古屋にしれっと置いてることはある程度のものです。値段が高いわけでもなくレアと語られるわけでもなく、見かけても「28-90mmもあるのか」と流してしまって終わっちゃう。 そして探すと見つからない程度には見かけない。 なぜか何度も作り直される

    smc PENTAX-FA 28-90mmF3.5-5.6について|夢望庵 / Mubou-an
  • 愛すべきPENTAX K-01について|夢望庵 / Mubou-an

    Youtubeを見てますと、トップページのサジェストにこういう動画が出てきたんですよ。 いいですよねK-01。愛すべき。 私も新品で買って、K-70に買い替えてからもたまに使うカメラ。 K-01とはどういうカメラなのか 上の動画にいわれてるような、愛すべきカメラです。はい。 バッテリーライフについて ただ、動画の中で「バッテリーライフが短い」といわれてるんですが、これだけは誤認があるように思います。 少なくとも私の手元のK-01は、でっかいバッテリー積んでるだけあって、電池切れを心配しながら使ったことはありません。実際に撮影中にカラになったこともないです。 動画では「満充電しないで電池を大事にしてる」とのことでしたが、PENTAXのカメラって、かなり電池が減らないとバッテリーインジケーターがフル表示から下がらない傾向あるんですよね。50%くらいまでフルのままって印象。 で、下がり始めると急

    愛すべきPENTAX K-01について|夢望庵 / Mubou-an
  • PENTAX Q 発売10周年記念 いきなりQレンズレビュー|夢望庵 / Mubou-an

    Twitterで知ったんですが、2011年8月31日にPENTAX Qが発売して、今日で10周年だったんですって。Twitter #PentaxQ_10thanv を参照のこと。 ただまあ、私が持ってるのは最終型のQ-S1で、初代のQは発売当時には買ってませんでした。今持ってるのも、カバー画像も、最終型のQ-S1でした。 最初に買ったのは二代目のQ10でしたね。 そんなわけで、Twitterではカメラの写真撮って盛り上がってますが、私は初代機を持ってないのでちょっと遠慮して、今日撮った写真で。 レンズは、ボディと一緒に10周年を迎えた01 STANDARD PRIME。 01はやっぱり、よく写るレンズですよね。 コンパクトデジカメと同じ1/1.8型とか1/2.3型のセンサーでも、小さく収めたズームレンズのコンパクトデジカメよりやっぱりQの方が写るよな、と思わせる一。 Q7/Q-S1でライ

    PENTAX Q 発売10周年記念 いきなりQレンズレビュー|夢望庵 / Mubou-an
  • 「カメラメーカーの失敗カメラ&失敗戦略」という記事のPENTAX関連についての感想|excelia

    カメラメーカーの失敗カメラ&失敗戦略-デジカメINFO デジカメINFOに記載されていたこの記事について、PENTAX関連のみに抜き書きして感想を記載するだけの記事です。 1)K-70の像面位相差AF(これだけに搭載)7.K-70の良さに気付かなかったペンタックス K-70はバリアングルモニタを初搭載し、最初で最後のライブビュー時の位相差AFを採用して、技術的に技術的にそれまでのカメラを一新しただけでなく、それ以降に登場した同社のカメラにも優っている。K-70はすぐに姿を消し、ペンタックスはK-70の持っていた機能をもたない一眼レフを販売し続けている(K-70はその後戻ってきた)。なぜ、ペンタックスは未来を見据えた一眼レフから手を引いてしまったのだろうか。 https://digicame-info.com/2022/09/post-1560.html より引用バリアングルモニタの初搭載は

    「カメラメーカーの失敗カメラ&失敗戦略」という記事のPENTAX関連についての感想|excelia
  • もしPENTAXIANでなかったら|夢望庵 / Mubou-an

    PENTAXファン……というか、熱狂的ファンというか、信者というか、シェア1%以下だけど声が100倍大きいからPENTAXがニコンやキヤノンと拮抗してるように見せてる人たちのことを、いつしかPENTAXIANと呼ぶようになりました。 日で使うようになったのはここ数年と思いますが、海外では結構古くからある単語のようで、2008年にこんなTシャツが作られていました。 「私はペンタキシアン。信者だ。そして頑固だ。どこに行くにもK1000を身につけていた。時々シャワーを浴びる時以外は下ろさなかった。子どもたちを寝かしつけるときには、かつて売れまくったこのカメラが『ザ・ペンタックス』と呼ばれるようになるまでの日々を、前のめりに語って聞かせた。私は、ピクセル等倍で写真を眺めてうだうだ時間を無駄にすることはなかった。ただ、撮った。私は魅惑されていたんだろう。時々、エレベーターで乗り合わせた人に、『AF

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  • (主にPENTAX)カメラ読み物|夢望庵 / Mubou-an|note

    PENTAX 17と行く甲信旅行 (1) 甲府 12日夜に届いたPENTAX 17を受け取り、あらかじめ買っておいたSUPERIA PREMIUM 400を詰め、13…

    (主にPENTAX)カメラ読み物|夢望庵 / Mubou-an|note
  • カメラ業界三大ブルーと、CANON、Nikonの青の違い|障害者から見た社会

    前に写真の記事で書いた通り、フイルムカメラ時代は主に富士フイルムが発色を担っていた。 ☆☆☆ それがデジタルカメラになって、フイルムが廃止され、各社絵作りするようになった。 よってデジタルカメラ各社では、それぞれのメーカーで発色が異なる。 画像処理エンジンとCMOSセンサーを各社自前で造る(CMOSセンサーはCANON以外大体SONY製を各社購入しているのだが)、ことになった。 よって、SONYの青色とNikonの青色とCANONの青色は違う。 ペンタックスの緑とオリンパスの緑色も違う。 ここが写真の奥深さ。 おもしろさでもある。 特にはっきりと違いが出るのが青。青色。 業界でよく言われる青。定番の青はこの3社。 ■カメラ業界3大ブルー ペンタックスブルー オリンパスブルー トキナーブルー そんな訳で、定評あるこの3社のブルーを、青空の写真を見て比較していく。 この3社の青の絵作りは上へ行

    カメラ業界三大ブルーと、CANON、Nikonの青の違い|障害者から見た社会
  • 初めてでも「慣れてる感」が出る!インタビュー取材3つのコツ|kosaku@ごくごく真面目な名古屋のコピーライター

    名古屋でコピーライターをやってるkosakuです。コピーライターの仕事に「取材ライティング」というものがありますが、ライティングは得意でも「取材(インタビュー)」は苦手なんだよな。。。という人が周りに結構いたりします。今回はそんな悩めるコピーライターやライターのために「細かすぎて誰も教えてくれないインタビュー取材のコツ」をお伝えします。 【インタビューのコツ その1】 「まず自分が何者で、これが何の取材か」を伝えるべし「まずは名を名乗る」。初めての人と人がコミュニケケーションをとる際に最も大切なことなのですが、実際の現場では時間が限られているため案外これがスルーされてしまうことが多々あります。私はどんなに時間がなくとも、必ず自らが何者であるかを伝えてから取材をスタートするようにしています。「私がインタビューする人で、あなたはそれに答える人なんですよ」そう最初にきっちり宣言することで、取材対

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  • Keita's talk 395 モノクロの話|佐々木啓太

    フィルムでモノクロ写真をやっているとだいたい段階がある。 初めはグレーの時代。黒(シャドー)の締まりがなく白(ハイライト)が立っていないユルユルな感じ。 次は黒の時代。黒の締まりをだすためにアンダー気味に撮るので全体的に暗い感じ。 最後はモノクロ時代。黒の締まりがあって、ハイライトが立っている。さらに黒の中には深いトーンが綺麗に残っている感じ。 オレは最後のモノクロ時代に来るまでに10年以上かかった。 デジタルではコンラストの調整もしやすいし、初めからメリハリも強いのでそんな時代を経験しなくても良いかと最近まで思っていた。 やっぱりそうではないみたいというのが今の思い。 それは単純に露出補正やコントラストの調整だけではモノクロ時代にならないから。 何が違うのかといえば、光の見極め。 必要なトーンが狙える角度で光を撮っていないとモノクロ時代にはならない。 撮影会などで一緒に回っているときは必

    Keita's talk 395 モノクロの話|佐々木啓太