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ブックマーク / blog.livedoor.jp/hnnk0 (5)

  • http://blog.livedoor.jp/hnnk0/archives/cat_50049758.html

  • 牛耕式ふたたび、あるいは文字の向き : 書迷博客

    2011年05月30日00:00 カテゴリもじ 牛耕式ふたたび、あるいは文字の向き ルーブル美術館の所蔵する古代エジプトの彫像「書記座像」は、不思議な印象を残す作品だ。 鶴ヶ谷真一『紙背に微光あり』(平凡社 2011年)の「文字を書く」はそんな文章から書き起こされている。 古代エジプトの書記の像で、書記は文字を書くのが仕事で、「書記は王家の記録や死者の運命を、神聖文字によってパピルスに書きとどめた」。 また、神聖文字はヒエログリフはともいい、この名称は古代エジプト語の「神の言葉」のギリシャ語訳なのだそうだ。いわゆる古代エジプトの象形文字である。 <ヒエログリフは右から左に書くことも、左から右に書くこともでき、さらに縦書きも横書きも可能だった。下から上へ縦書きにすることもあった。さらに、行ごとに方向を変えるという意表を突く書き方もあった。つまり一行目が右から左へ、二行目が右から左へ、三行目が

    牛耕式ふたたび、あるいは文字の向き : 書迷博客
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  • オットーと呼ばれる日本人 : 書迷博客

    2007年02月14日00:00 カテゴリことば オットーと呼ばれる日人 白川静『中国の神話』(中公文庫)を斜め読みしていたら、途中でこういう文章にぶつかった。 <於兎は楚の語で虎を意味する。わが国で寅年生まれの人に於兎という名をつけることがあるのも、虎の異名であるからである。於兎はまた於択としるされることもあり、兎や択は楚の語で虎をあらわすのであろう。(略)>(P95) へえ、そうだったのかあ。 ひょっとするとあの人もかな。 私の知っている「於兎」といえばこの人しかおらず、森鴎外の長男、森於菟。 その森於菟の生まれた年を調べてみたら、明治二十三年。庚寅。 ピタリ、寅年だった。 さすが鴎外、わかっている。 鴎外の子供たちはそれぞれに父親の思い出をに書き残している。 そのどれを読んでも、鴎外が父親として子供たちを可愛がり、子供たちに愛されたことがよくわかる。 森於菟『父親としての森鴎外』

  • 荷風の中国語 : 書迷博客

    2006年10月24日00:00 カテゴリことば 荷風の中国語 吉川幸次郎『漢文の話』(ちくま文庫)はこういう文章から始まっている。 <われわれの祖先は、漢文を愛した。ずっといつの時代でもそうであったわけではない。もっとも高潮したのは、江戸時代であって、伊藤仁斎、荻生徂徠など、第一流の大家を筆頭にして、ひろい範囲の武士また町人の、教養であった。 高潮は、明治の漱石、鴎外、露伴、藤村、花袋、啄木に及んでおり、大正と昭和では、荷風、芥川龍之介に、顕著である。>(P8) 漱石はイギリス留学、鴎外ならドイツ、芥川龍之介も英語英文学を専門にしたけれど、その一方で漢学の素養があって、江戸時代から続く漢学教養の系譜に連なっている。 永井荷風も同様で『ふらんす物語』や訳詩集『珊瑚集』で欧羅巴の印象が強いけれど、『断腸亭日乗』のなかにも漢籍を読んでいる記述がたいへん多い。 先の『漢文の話』によれば、 <荷風

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