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ブックマーク / blog.livedoor.jp/tristanetsamuel (4)

  • ファッションの批評の次元を感じ取る:トークイベント『Future Beauty展』を語る : ページからページへ

    ファッションの批評の次元を感じ取る:トークイベント『Future Beauty展』を語る カテゴリ: 学会・イベント 美学・芸術の哲学 『Future Beauty展』を語る@Gallery110(京都府京都市)5/4(日) 登壇者(敬称略):石関亮・成実弘至・井上雅人・小北光浩・蘆田裕史 京都国立近代美術館で開催していた日の20世紀後半のファッション展示の企画『Future Beuaty日ファッション不連続の連続』に関するトークイベントに参加してきた。 登壇者同士のあいだで興味深い論点が多く登場したけれども、フロアへの対応も親切で双方向性も十分に保たれた楽しいイベントだった。トークイベントは、展覧会の主催者である京都服飾文化研究財団の石関亮先生が、展覧会の内容を反省的に紹介し、その他の登壇者の方々と議論をかわすという内容だった。 『Future Beauty』の展示範囲は、1980年

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  • http://blog.livedoor.jp/tristanetsamuel/archives/51047005.html

  • 『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)をよむ : ページからページへ

    『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)をよむ カテゴリ: 文学 三年ほど前、異色の戦中派詩人・石原吉郎(1915-77)の『望郷と海』を読んだのだが、それに加えて今回思い返したように講談社文芸文庫の『石原吉郎詩文集』を眺めていた。キルケゴールとツェランを一緒に読んでいるような味わいのある詩人である。文学と哲学のあいだというものを設定したい誘惑に駆られなくもない。 ところで、言ってみれば、自己をそこに賭けるような仕方で文学と関わっている者には「私の詩人」とでも呼べる作家がいるものである。そのような意味で石原吉郎は、私にとって「彼女の詩人」にほかならない。石原吉郎は私が自ら発見した詩人ではなく、詩人の友人が己にもっとも影響を与えた詩人として過去に紹介してくれたのである。失語寸前に産み出される彼の言葉-語りきれるとは思えない戦争と捕虜生活の極限状態-の表現として選ばれたいくつかのものは、彼女の作品

  • カント『美と崇高との感情性に関する観察』(上野直昭訳)を読む : ページからページへ

    カント『美と崇高との感情性に関する観察』(上野直昭訳)を読む カテゴリ: 文学 美的カテゴリーの一つとして認知度の高い「崇高」sublimeを主題にした著作である。 『判断力批判』が1790年の出版でこちらは1764年らしいので随分と早い。 しかし『判断力批判』と違って哲学的考察らしいものはほとんど見当たらなかった。 むしろ18世紀ドイツにおけるある種の心理的特徴を表わす歴史的資料として価値のある類いのものだと思う。 カントは具体例を列挙して「崇高な感情」と「美的な感情」の対比を行っている。 この具体例というのが非常に時代を感じさせるもので(だからこそ資料的価値が高いのだが)、四体液説にちなんだ気質の四分類(第2章)、女性を中心に展開されるジェンダー論(第3章)、ヨーロッパをはじめとした国民性や民族性(第4章)の違いに応じてどれが「崇高」でどれが「美」的な性質をもつかという話が続く。 もち

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