1 文語について、もう少し書きます。 調べてみると、文語の運命というのもおもしろいものだとおもいました。 最初の口語体の言文一致による小説といわれた(しかし講談の口調を書きおこしただけの感の強い)二葉亭四迷『浮雲』が出版されるのが1887年、そして文語体の、しかし西洋小説的なリアリズムの骨格をもつ森鴎外の『舞姫』が1890年。その後、苦闘を重ねながらも小説の文体は口語体へと移っていき、文語による最後の傑作とも呼ばれる樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』等が書かれるのが1895-6年となり、その後は日本の近代文学は口語のみになっていきます。ほぼ十年ほどで小説の口語化は完成された印象です。 その翌年の1897年には島崎藤村の『若菜集』が出版され、その後十年ほどは新体詩のブームだったそうです。ここで文語体の活躍の場は小説から詩へと移ったとみていいでしょう。 しかしその詩も、萩原朔太郎の『月に吠え
短歌の世界では「口語」「文語」という言葉がつかわれるのですが、現在使われているような意味あいで使うなら、これは「現代語」と「文語」、あるいは「現代語」と「古語」というべきではないでしょうか。 というのは、「口語」「文語」という言葉をつかえば、これは「話し言葉」「書き言葉」という分け方だと受け取られかねないからです。しかし、現在使われている意味あいではそうではないので、誤解を招きます。 と前置きして本題に入りますが、ぼくは文語で書きたがる現代歌人の気持ちというのが理解できず、そうしている人が何で自分が文語にこだわるのかという理由を説明している文章はないかと探していました。そしてこの前は山本夏彦の『定本 文語文』という本を見つけて、その感想はこのブログにも書きましたが、しかし山本氏は文語に深い愛着を感じながらも、それはもう滅びた言葉だとして使用することはしなかった人です。ですから、そうではなく
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