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ブックマーク / www.honsagashi.net (6)

  • 「教養=生き方としての学問」と「専門=飯の種としての学問」:「塩野七生はなぜ叩かれるのか」再論

    昨日は『諸星大二郎原画展』を見終って少しトリップした頭で「リブロ」へ行き、を物色。読みたいというより、あ、読んでなかったな、と思ったを二冊買った。しかしその両方とも、読み方がわかるというか、読むコツを知っているという感じなので、割と気楽に読めそうなもの。アントニオ・タブッキ/須賀敦子訳『供述によるとペレイラは』(白水社Uブックス、2000)と小林秀雄『小林秀雄対談集』(講談社文藝文庫、2005)。リブロというのはこういうが割と目につくところにある。文芸好きの初心者向けに、わりと探しやすくできている、と言えるのかもしれない。 小林秀雄の対談の目次を見ていて、「教養ということ」と題してソクラテス・プラトンの研究者である田中美知太郎と対談しているのを見て、さっとそこを開いてみた。昭和39年6月の対談だから、1964年、東京オリンピックの年だ。田中・小林とも62歳。ただ学年は田中の方が

  • 幻の革命の制度化としての戦後民主主義/丸山真男『日本の思想』

    昨日は後片付けをいろいろやったりもしたが、大体福田歓一『近代の政治思想』を読んでいた。午後から夜の仕事はまあまあ忙しくなってきていて、結構いいかもしれない。 『近代の政治思想』読了。ルソーの部分を読んだが、今までルソーの思想でよくわからなかった部分が少し結びついたような気がする。このを読んで最も強く思ったのは、福田の考えは必ずしも賛成できない部分が多いのだが、しかし自分のまわりの多くの人々が実に福田の考え、あるいは福田に代表される思想、つまりそれがいわゆる「戦後民主主義」というものだと思うのだが、に強い影響を受けていて、世界認識の仕方から行動パターンまで、こういう思想に基づいてそれが血肉化して動いているのだということだ。それはある意味面白いことなのだが、深刻なことでもある。 福田の思想は簡単に言えば「自然状態」において権力を捨象して考えることによって、権力という非人間的に見えるものが生身

  • 「お金があなたを愛さなければならない」/『日本思想史入門』荻生徂徠~吉田松陰

    信州の朝は寒いが、窓から見る山はきれいだ。朝日を浴びて茶色がかった赤とオリーブの入り混じったような色合いの山の上に、白い雲がひとひら浮いている。上には青い空。山に至るまでの町並みが白くまぶしい。 昨日帰郷。東京駅で山手線開業80周年記念弁当という表示を見つけ買おうとしたがちょうど売切れだった。特急の中では『日思想史入門』と『「相場に勝つ」株の格言』を読む。八王子と大月の間、30分ほど寝入っていた。 夕方から夜は仕事。忙しいような、そうでもないような。良い結果の知らせがあり、祝福。なべてこう行きたいもの。 『株の格言』まだあまり読んでいないが、面白いと思ったもの。「お金を愛するだけではお金持ちになれない。お金があなたを愛さなければならない。」ユダヤの格言だそうだ。お金に愛されるためには、お金を大事にすること、つまり上手に貯め、上手に増やし、上手に使わなければならないという。最近思うが、お金

  • 契沖:人生は生きるに値するか

    ブラームスの一番を聞いている。昨日からなんとなく気に入って繰り返し聞いているのだが、不安になったり明るくなったり急に思い当たったり、という感じの感情の起伏のようなものが感じられて色彩豊かでさまざまなものを感じさせる。ブラームスは人間の器が小さい、なんてことを誰かが言っていたが、まあそうかもしれないのだが、しかしそういう人が「感じること」がうまく表現されていて、ベートーヴェンのような人間の巨大な人が出会った物とは違うけれどもそのぶん常識的で小市民的な安心感があるような気がする。うまく乗ったときの昂揚感は、ベートーヴェンの方が上だ、なのだが。 6時過ぎに起床。長野県は今年一番の冷え込み。北の方では雪も降ったらしい。こちらは曇り空で、今はだんだん晴れて来ている。氷点下5度くらいだろうか。このところ私はずっと炬燵を使っていないが、今朝は「炬燵があるといいなあ」と思った。炬燵が部屋の真中にあることで

  • 小林秀雄『本居宣長』(1)

    昨日帰郷。列車の中では小林秀雄『居宣長』を読みつづける。これは確か初出は『新潮』に連載されたものだったと思うが、その一回ごとの連載のまとまりで番号がつけられているのではないかと思う。(しかしよく見てみると、番号のまとまりはかなり長短がある。連載の区切りとは関係ないのかもしれない。)上巻は「三〇」まであるのだが、今は「七」まで読み終えた。内容について小見出しが有るわけではないので、心覚えに書いておこうと思う。 「一」宣長について書き出すきっかけについて記し、「居さんは源氏ですよ」という折口信夫とのやり取りから、ある日ふと思い立って伊勢松坂の宣長の墓所を訪ねた話が記され、墓所に関する小林の印象と、その墓所と葬礼について詳細に書かれた宣長の遺言書の内容について述べられ、墓所に植えよと指示した山桜を宣長がいかに愛したかということ、枕辺に浮かぶ幻の桜の歌を三〇〇首も読んだことが述べられている。

  • 正義という「毒」/こうの史代『街角花だより』

    昨日はほとんどの時間、『自分で楽しむ「趣味」講座』を、『基礎から作るMovableTypeブログデザイン』の順番どおりのレッスンで作り続けた。デザイン的なものをどうすればよいかということには関心が持ちやすいが、コメントをつけるとかトラックバックの仕組みとか、技術的な部分には関心が持ちにくいのでに沿って無理やり一度習っておけば対応はしやすくなるかもしれない。やはりこういうものは「無理やり」の過程がないとなかなかものに出来ない。 ただ私の場合は、無理やりをとにかくやり遂げることだけに力を注ぎ、何がものにできたのか自体がよくわからなくなってしまうことが往々にしてあるので、その当りをはずさないようにしないといけない。サイトを自由に作れるようにならなければ今やってることの意味が余りないのだから。 お昼前に郵便局に出かけ、お金をおろそうとしたら5万9千円と押すつもりが間違って59千円と押し(つまり万

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