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ブックマーク / khyogen.exblog.jp (10)

  • 『音楽を聴く』で朗読論――朗読と音楽の接点 | eXcite ことば・言葉・コトバ

    最近、岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書2009)を読了した。読んでいるうちに、音楽の表現というものが朗読の表現と重要な関連性があるということに気がついた。というわけで、以前わたしは、グレングールドで朗読論というシリーズの記事を書いたが、それと同様な書き方でこのブログで書いてみようと思っている。 まず思い浮かぶのは、を読むということの根的な問題である。199ページで「いつ音楽当に私のものになるのか」という問題が提起されている。これはを読むことにも言えるのである。わたしたちは、を買い込んで、読んではいるのであるが、一体、どのようにしたらが自分のものになるのだろうか。 その一つの手段が音読である。声に出してを読むことは、一つの表現である。黙読をして、内容を理解しているつもりになっていても、果たして、それでが自分のものになったといえるだろうか。どれだけ、自分のものにしたかという

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    渡辺知明が「読み・書き、話し・聞き」など、音声表現・文章表現を考える

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  • 文章推敲力を育てる添削入門(4) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方のは数多くあっても、添削や推敲について書かれたがほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。((第1回)2006.2.21、(第2回)3.7) 【連載】第4回 ●黙読の三種類 「じつは黙読といっても読み方にはいろいろあります。基は三つです。 「第1が、目でよむ読み方です。文字から音(オン)を感じることなく、文字から直接に意味を理解する読み方です。わたしは「目(め)よみ」と呼んでいます。 「第2が、声を意識してよむ読み方です。わたしは「音(おん)よみ」と呼んでいます。これは声に出してよむのと同じだけの時間がかかります。詩をよむときには、必ずこの読み方で、ゆっくり読んで

    文章推敲力を育てる添削入門(4) | eXcite ことば・言葉・コトバ
  • 文章推敲力を育てる添削入門(3) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方のは数多くあっても、添削や推敲について書かれたがほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。((第1回)2006.2.21、(第2回)3.7) 【連載】第3回 2 添削とはなにか? 「添削とはそもそもなんでしょうか。文字どおり「添(てん)」と「削(さく)」です。つまり、文章に書き加えることと、文章を削ることです。添削にも目的があります。わたしが前提にしていることは、学生の言語能力を向上させることです。これが最大の目的です。添削で点数をつけるわけではありません。書いた人に添削したものを返して、このように書けばいいのだな、このように直せるのだなと理解してもらうことです。そ

    文章推敲力を育てる添削入門(3) | eXcite ことば・言葉・コトバ
  • 文章推敲力を育てる添削入門(2) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方のは数多くあっても、添削や推敲について書かれたがほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。((第1回)2006.2.21、(第2回)3.7) 【連載】第2回 ●声に出して読む 「それでは、読み方からお話ししましょう。ここは総論ですから、大まかに2つの読みかたをあげておきます。 「第1は、音読です。添削されたものを読むときには、文字言語と音声言語との関係が大切です。この二つを統一することです。添削するときには、文章を声に出して読むのです。わたしは通信添削の受講生に必ず、添削の赤ペンにしたがって文章を読み直すようにいいます。文章はもともと声の表現なのです。いい文章は声に

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  • 文章推敲力を育てる添削入門(1) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ◎ある大学で文章添削の実践者のための講義をしました。あらためて驚いたことは、文章の書き方のは数多くあっても、添削や推敲について書かれたがほとんどないということです。そこで、わたしはあらためて、文章力の養成を、添削と推敲の角度から考えることになりました。2日間で通算7時間の講義の記録に手を入れて少しずつ公開します。((第1回)2006.2.21、(第2回)3.7) 【連載】第1回 1 文章をよむこと 「添削について書かれたはほとんどありません。添削はたいへんな仕事ですし、添削について書くことはむずかしいからです。一般に考えられているように、誤字や文末の言いまわしなどを直すだけのことでははありません。じつは文章について総合的な能力が必要なのです。 「添削には、まず文章を正確に読む力が必要です。読む力がないと文章は直せません。ですから、添削の実践者の方には、文章を正確に読んでくださいという

    文章推敲力を育てる添削入門(1) | eXcite ことば・言葉・コトバ
  • 本を個人で消費する読書法 | eXcite ことば・言葉・コトバ

    今日から読書週間で、今日は「活字文化の日」だそうだ。わたしは日々、いろいろなを読んでいる。読書による独学でさまざまな知識を身につけてきた。 は安い。わずか数百円から数千円を出せば、いろいろな知識を得ることができる。以前に、ある出版社の広告で「一冊のさえあれば地球の裏がわへも旅することができる」というスローガンがあった。地球の裏がわどころか人間が行くことのできない観念や哲学の世界へも行けるのだ。それは実在しない想像の世界への旅ともいえる。 だが、問題はのよみ方だ。読書家とは同時にのよみ方までも考える者のことかもしれない。わたしもが売れないという風潮を気にしている。どうしたらが売れるかというと、営業に関わる人たちは、次つぎに新しいものへと飛びつこうとするようだ。それは資主義社会の経済原理だから仕方のないこだろう。経済原理が根から変わらないかぎり、この考えは残るだろう。 しかし

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  • 「コトバの網」とコトバのはたらき | eXcite ことば・言葉・コトバ

    わたしの表現よみに感心してくださって、音声言語のはたらきについて書いてくださったサイトがある。残念ながら、コトバの意味と意味の乗物のちがいについての理解が不十分なようなので、コトバのはたらきの理解のために役立つ「コトバの網の図」について説明をしようと思う。下記の図をクリックして拡大図を見ながら説明を読んでほしい。 ここで問題にするのは、声で発せられたコトバがどのように聴き手によって受け止められるかということである。 右側の人が「もの・こと」について考えたことをコトバの網を通してコトバにして口から発する。この場合は「話(音声言語)」となる。注目してほしいのは、このトロッコのようなかたちの意味の乗物である。ここに「もの・こと」についての考えが乗るのである。 左側の人は耳で聴いたコトバをコトバの網を通じて意味を理解する。この理解には二た通りがある。相手の考えた「もの・こと」を直接に想像するAコー

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  • グレン・グールドで朗読論(2)曲と会場 | eXcite ことば・言葉・コトバ

    朗読する文学作品には「語り口」があるというのはわたしの持論である。漱石を例に取れば、「吾輩はである」と「坊っちゃん」と「こころ」と「明暗」では、その「語り口」はちがう。「語り口」の判断の基準になるのは、オーラル・インタープリテーションの理論で言われるいくつかの要素だ。だれが、いつ、どこで、どんな人たちを相手に語るのか。すぐれた文学作品からは、かならずこれらの要素がよみとれる。 どんな作品でもかまわずに声にしてよむことはできる。だが、それが表現となるためには、「語り口」の表現が必要だ。「語り口」と作品の内容とは密接な関連がある。「こころ」は「吾輩はである」の口調では書けない。というよりも、「語り口」の設定から「こころ」の内容が出て来たとも言えるかも知れない。 グレン・グールドによると、音楽においても曲それぞれに、どんな楽器で、どんな場所で、どんな聴き手のために書かれたかという特徴があるそ

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  • グレン・グールドで朗読論(1)音楽と演奏 | eXcite ことば・言葉・コトバ

    グールドとはピアニストであり、音楽思想家であるグレン・グールド(1932-1982)のことである。ピアノ音楽はとりたてて好きではなかったが、人の紹介でグールドを聴いてから、この人しかないという気になっている。そして、最近、ジェフリー・ペイザント(木村英二訳)『グレン・グールド―なぜコンサートを開かないか』(1981音楽之友社)を読んでいるうちに、音楽論が文学作品の音声表現論になることを発見した。それで何回かにわたってグールドの音楽論からの連想で朗読の芸術論について書くことにした。 第1回は音楽と演奏のちがいである。グールドは1932年の生まれである。13歳でピアニストとしてデビューしたものの、30にしてコンサート活動を止めた。その理由は、音楽と演奏とのちがいである。グールドは演奏をしたかったのではなく、「音楽」を表現したかったのだ。とはいうものの、グールドのピアノのテクニックは天才的なもの

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