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2005年9月19日のブックマーク (8件)

  • http://blog.goo.ne.jp/th6969/e/d40ac960e1d52444de5bb45ced6249b5

  • 知的障害者とのワークショップ - 大友良英のJAMJAM日記

    今日は、神戸大学の大学院生たちが主催するワークショップを見に神戸へ。主に知的障害者たちが参加する音楽のワークショップだ。来年このワークショップの何回かはわたしがリーダーを務めなくてはならない。これまで、知的障害者と呼ばれる人たちとの接点のまったくなかったわたしは、とりあえず、どういうワークショップがおこなわれているのか様子だけでも見ておきたかった。 う〜〜〜ん。 これは、そうそう簡単にできるもんじゃないなあ。 ワークショップ終了後、主催の人たちや、ボランティア参加の人たち、指導をしている人たちとディスカッション。 自由に音を出し合って、それで楽しくなったり、ココロがかよい合えば、それが音楽に聴こえるんです。それでいいじゃないですが・・・と主張する人がいる。この方は音楽療法の専門家の方だ。 音楽療法のセッションの現場でそういうことがおこるのはわかるような気がするし、そうやっていくことの重要さ

    知的障害者とのワークショップ - 大友良英のJAMJAM日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/09/19
    でも、だれにとっての新しさなのか?だれとってそれが必要なのか?
  • @nifty:デイリーポータルZ:中国に日本の「の」が浸透した

    中国の流行は「の」である。このタイトルといい、この書き出しに何をライスマウンテンは言っているのだと思っているそこのアナタ、この文章は文法的に間違っているわけではないのですよ。なんたって、当に日語のひらがなの「の」が文字として中国では浸透しているのだから。日人は漢字を中国から輸入したけれど、今中国人は日から文字を輸入したのだ!…「の」の字だけ。 今回も中国の街で「の」を捜しに現地調査にはりきりました! 中国で「の」といえば、真っ先に見かけて、目に入るのがこの2つだろう。「鮮の毎日C」は中国でメジャーなジュースで、「優の良品」は香港の有名なお菓子屋。どちらもなんとなく意味がわかりそう。でもたぶん文法間違えてマスヨ! この「の」の使い方は、OKなのかNGなのかキワどいボーダーライン。中国だからNGなんてのは良くない考えだ。冷静に「の」の使い方を見守りたい。それにしても「熊の屋」のイメージ

  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 初芝の思い出

    初めて初芝を見たのは川崎球場だったか。南海戦。山内孝の外側のボールを打たされて詰まったライトフライが、そのまま風に煽られてスタンドイン。数えるしかいない客が、ゆっくりとダイヤモンドを回る初芝に爆笑を浴びせている光景が忘れられない。 後日、西武戦を観にいったとき、ロッテが終盤追い上げ一点ビハインドの九回裏。四球二つとヒットでノーアウト満塁のチャンス。またしても客は数えるほどしかいない。しかし、期待を胸に見守る先は、途中出場のセカンド堀。 堀は初球を打ち上げてショートへの見事なポップフライ。しかし、続くバッターは初芝である。敢然とバッターボックスに向かう初芝を見守りながらも、ヒットならサヨナラの場面なのに「大丈夫か、初芝」という空気だけが球場に流れた。 またも初球。内角の変化球らしきボールをバッチリ引っ掛けて、芸術的なショートゴロ併殺打。九回裏、ノーアウト満塁という絶好のチャンスを二球で

  • 漢文授業の復活を - さまよへる和漢蘭人

    なにを今更、と云はれるかもしれないが。 だが、ビジネス文書とか読んでるとほんと、多いんだつて、漢文まがひの文章が。 絶対みんな漢文書き下し文みたやうな文章を書きたいんだつて。 ビジネス文書の文章には文語体を避けること、といふ鉄則を知らない人が多すぎるといふのが問題なのかもしれないが。 でも使つてみたいんだつて、「すべからく」とか「なかんずく」とか「しかして」とか。 但し、かうしたことばはよく「誤用されてゐる」といつてやり玉にあがることが多い。 そこで漢文教育である。 漢文の教育を復活させれば、「すべからく〜べし」とか「而して」とかちやんと使へる率があがるんぢやないかと思ふ。 そしてビジネス文書は文語体で書くことにするのだ。 この際、やたらこむづかしいことばを使つてだらだら書くことはもちろん認めないこととする。 漢文のあのぱきぱきと無駄なことは書かない簡潔さをもつて旨とするやうにする。 した

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  • アーカイブ 「なってるハウス通信」web

  • グレン・グールドで朗読論(2)曲と会場 | eXcite ことば・言葉・コトバ

    朗読する文学作品には「語り口」があるというのはわたしの持論である。漱石を例に取れば、「吾輩はである」と「坊っちゃん」と「こころ」と「明暗」では、その「語り口」はちがう。「語り口」の判断の基準になるのは、オーラル・インタープリテーションの理論で言われるいくつかの要素だ。だれが、いつ、どこで、どんな人たちを相手に語るのか。すぐれた文学作品からは、かならずこれらの要素がよみとれる。 どんな作品でもかまわずに声にしてよむことはできる。だが、それが表現となるためには、「語り口」の表現が必要だ。「語り口」と作品の内容とは密接な関連がある。「こころ」は「吾輩はである」の口調では書けない。というよりも、「語り口」の設定から「こころ」の内容が出て来たとも言えるかも知れない。 グレン・グールドによると、音楽においても曲それぞれに、どんな楽器で、どんな場所で、どんな聴き手のために書かれたかという特徴があるそ

    グレン・グールドで朗読論(2)曲と会場 | eXcite ことば・言葉・コトバ
  • Sing 365 - LYRICS

    Artist: Emotions Album: Best of My Love Song Title: A Feeling Is Release Date: 5-1977 Tracks: 2 Artist: Emotions Album: Best of My Love Song Title: Best of My Love Release Date: 5-1977 Tracks: 2 Artist: Iván Villazón & Juancho de La Espriella Album: Querer a alguien Song Title: Querer a alguien Release Date: 12-11-2020 Tracks: 1