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ブックマーク / king-biscuit.hatenadiary.com (4)

  • 「なつかしさ」と文化史のための記録や資料 - king-biscuit NOTES

    「なつかしさ」とは別なモードになって初めて、文化史や風俗史は成り立つものかも知れない。逆に、「なつかしさ」を駆動させておかない・おけないジャンルだと、資料が失われやすいのかも知れず。このへんパラドキシカルに思えるかも知れないが、案外見逃されているポイントかも。 「なつかしさ」が素直に同時代の気分として稼動している間は、直近の記録が残されやすいのに対して、それが一定の期間を過ぎ、「なつかしさ」を親身に覚える世代が世の中から退場し始めるようになると、それに比例して残される記録のタイプも変わり、またそれら記録に対する意識の仕方も変わってくるような。このへん、「現代史」というもの言いに関連してこれまでもあれこれ議論が繰返されてきたあたりのこととも関連するかと。「歴史」はどこから始まるのか、またあるいは、どこまでが「現在」でそこに「歴史」はどのように介在し得るのか、とか。 「歴史」のための資料、記録

    「なつかしさ」と文化史のための記録や資料 - king-biscuit NOTES
  • 「読む」ことの現在 - king-biscuit NOTES

    わかるわ〜私はかなり読んでた方だと思うが、Twitter追ってリンク先の記事やらブログやらを読む、と言う悪習(と敢えて言う)を一日何時間か5年ほど続けた結果、一冊のを読み通すのが前に比べ激しくツライ。まして最初からそうな人々にしてみたら。(続く) https://t.co/kbuL3bKc36— Mami Matsuda (@iloveferry) October 17, 2019 電子出版業界では、だから(売るためには)コンテンツのマイクロ化だ、とかなる訳だけど、そんなこと言ってる場合なのかな?いや、別に一冊の読み通せなくてもそれなりの知識が得られてそれなりの教養が構築されるのかな? 文字や活字を「読む」ということが、一定の集中と意識の意図的な制約によって、文脈や脈絡といったある種直線的な流れを仮構的に作り出してゆくことだった時代が、もしかしたらもう少しずつ別のものに移り変わりつつ

    「読む」ことの現在 - king-biscuit NOTES
  • 「学問」を成り立たせていた「戦後/昭和後期」の情報環境、のこと - king-biscuit NOTES

    *1 「学問」もまた、その時代の情報環境の内側でしか成り立たない、そういう面が否応なくあるらしいことを、ここにきて強く感じています、これまで以上に切実に、かつのっぴきならない同時代的問いとして。*2 とは言え、ひとまず文科系、いわゆる人文社会系と言い換えてもいいでしょうが、そういう分野のこと。さらに言うまでもなく、日語を母語とする環境において成り立ってきていたそのような分野、ということも、また含んでいます。つまり、日語を介して行なわれるそのような文科系の「学問」のなりたちについて、ということになります。 ざっくりとした見取り図だけでも先廻りして提示しておくならば、それら人文系の「学問」は、巷間思われていたような、あるいは当の「学問」世間の当事者として自他共に任じてきた人がたの了見の間尺で自明にそういうことになってきていたような、そんなある種の普遍、それこそ時と場合によっては「科学」とま

    「学問」を成り立たせていた「戦後/昭和後期」の情報環境、のこと - king-biscuit NOTES
  • 「よく調べてある」ことの現在・メモ - king-biscuit NOTES

    *1 『オカルト番組はなぜ消えたのか』(青弓社)。小難しい書き方をされている文章を頭の中で変換したり、読み返して咀嚼しなきゃならないのでほんとに疲れます。内容は、よく調べてあると思うところもありますが、自説に合わない事例を無視して論を進めているところが散見されるので大変モヤモヤします。— 城達也 (@honjo_tatsuya) 2019年1月31日 これ、とても大事な感覚であり違和感。単にその書き手の資質やスタイルというだけでなく、いろいろ根の深い問題を垣間見せてくれる糸口となる表明だと思う。 個人的な違和感不信感でしかないっちゃないんだが、ただ、前々から言うとる「情報」化「コンテンツ」化や、それらを前提にしたいまどきのしらべもの (「調査」「研究」の類でも別にいいけど) に特徴的になっている「スキャン」的、2次元的平面的検索の視線など、近年の情報環境の変貌とそこに宿る〈知〉のありよう

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