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第 8回 “模造紙”の呼び方で出身地がわかる “模造紙” れっきとした紙なのになんとも怪しげなネーミングである。諸々の情報によれば、「明治中期に、大蔵省印刷局が製造した局紙をまねた紙がオーストリアで製造され、大正初期になってそれをさらに日本で模して作ったために模造紙と呼ばれるようになった」という説が有力のようである。本家なのに“模造紙”とは肩身が狭いものだ。「模造した紙」では呼び名とその物とが結びつきにくいためであろうか、この紙にはオーバンシ、タイヨーシ、ガンピ、ビーシ、トリノコヨーシ、ヒロヨーシ、などなど各地でさまざまな呼び方が存在するのである。 オーバンシは山形、ヒロヨーシは長崎、熊本で使われる呼び方だ。いずれも「大判紙」、「広用紙」と大きさに由来するネーミングである。 タイヨーシは新潟県人が東京で通じないことばの代表格として位置づける呼び方だ。やはり語源は大きさに由来する「大用紙」。
吉原の正月は静かである。 元日の朝は居続けの客もなく、メインストリートである仲之町(なかのちょう)通りには人影がない。ひっそりとした音のない世界でもある。時折、時を告げる金棒引(かなぼうひき)が、金棒を引きずり鐶(かん)を鳴らし歩き、時を告げる柝(き)を打つ音がするだけである。 吉原の大晦日(おおみそか)から元旦にかけて、若い者(妓牛〈ぎゅう〉とも言う)は大忙しである。「引け四ツ」が過ぎて客がいなくなると、通りに門松を出し、妓楼に向けて門松を飾る。通りに背を向けるのは、客が入りやすくするためのスペースを作るためだという。 この「引け四ツ」は、吉原独特の時報で、九ツ(午前零時)を告げる直前に四ツ時(午後10時頃)を触れ回ることである。明暦3年(1657)の振袖火事で元吉原(中央区堀留町付近)も全焼し、浅草日本堤千束(せんぞく)村へ移転(新吉原)させられた。遠い郊外の地となったことから、吉原遊
昨年の流行語大賞は、「ダメよ~ダメダメ」だったとか。 江戸の流行語大賞といえば、さしずめ「日本(ニッポン)だ」だろう。これは、安永・天明頃(1772~89)に流行(はや)った言葉である。田沼意次(たぬまおきつぐ)が推進した殖産政策によって、世は挙げて消費文化に明け暮れるようになっていく頃である。現代で言えば、「日本だ」は「ステキだ」とか「素晴らしい」といった意味で、通人(つうじん)たちが流行(はや)らせ、江戸中に広がった。 吉原の幇間(ほうかん)もしていた岸田杜芳(きしだとほう)の作になる天明3年(1783)刊行の黄表紙(きびょうし) 『日本多右衛門(にっぽんだえもん)』では、この流行語がすっかり口癖になってしまった放蕩(ほうとう)息子を登場させている。仲間と吉原へ遊びに行こうという話し合いが決まると、「それは日本だ」、猪牙舟(ちょきぶね)に乗って急ぐときに「こいつは日本だ」、やがて吉原遊
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