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ブックマーク / m-takeda.hatenadiary.org (2)

  • 『ジャコメッティ』 - And Then > M’s Memos

    ジャコメッティ 作者: 矢内原伊作,宇佐見英治,武田昭彦出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1996/04/20メディア: 単行購入: 3人 クリック: 39回この商品を含むブログ (16件) を見る 焦るヤナイハラ。 デカルトやパスカルについて学ぶことではなく、デカルトやパスカルのように人生から学ばなければならない、そう思ってぼくはソルボンヌの講義をきく代わりに街々をさまよい歩いたが、それは怠惰の口実ではなかったか。第一、街々をさまようことと生活することとは全く別のことではないか。パリにぼくの生活はない、生活のないところには仕事もないだろう。ぼくは日に帰って仕事をしなければならない。それ以外に自分自身を再び見いだす道はないのだ。そして仕事は、ジャコメッティがしているように、日夜全力を傾け、試作に試作を重ねるのでなければ何一つできはしないだろう。(「ジャコメッティとともに」p69)

    『ジャコメッティ』 - And Then > M’s Memos
  • 山内志朗『〈つまずき〉のなかの哲学』 - And Then > M’s Memos

    どこにも行かない このエネルゲイアの特質を整理し、分かりやすく説明しているのが、藤沢令夫の『イデアと世界』だ。そこでの重要な一節に以下のところがある。 時間の内になく、〈どこからどこへ〉によって規定されないとすれば、当然「速く」「遅く」をそれについて言うのは無意味であり、したがってまた、「能率」や「効率」とも無縁であろう。そもそもここには、「能率」や「効率」の観念に内包される努力目標・到達目標としての「結果」や「所産」というモノが、存在しないのである。そういう外在目的によって限定されないというのが、エネルゲイアをキーネーシスから区別する根的特質であった。 われわれは内に省みて、たしかにこのような特質によって定義されるほかはないような行為・経験が存在することを、確言することができるであろう。手近なところでは、例えば、詩と散文と類比的に、舞踏が歩行と対照されて、「舞踏はたしかにひとつの行為体

    山内志朗『〈つまずき〉のなかの哲学』 - And Then > M’s Memos
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