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ブックマーク / ondine-i.net (3)

  • ストラヴィンスキーとドビュッシーの危うい関係(レコード芸術 2019年5月号)

    ストラヴィンスキーとドビユッシーの蓬遁は、1910年6月25日、《火の鳥》の初演時に遡る。ディアギレフから若きロシアの作曲家を紹介されたドビュッシーは、作品について愛想のよい感想を述べたあと、彼を夕に招待した(有名なツーショット写真は、このときに撮影されたものかどうか、はっきりしない)。7月8日には、デュランへの手紙ではじめてストラヴィンスキーに言及し、「(《火の鳥》は)完壁ではないが、とてもよい面があります。音楽は踊りの従順な召使ではないし、ときどきまったく異例なリズムの一致を聴くことができます!」と称賛している。 1911年6月16日、《ペトルーシュカ》初演3日後に《火の鳥》のスコアを贈られたドビュッシーーは、11月4日、返礼に神秘劇《聖セバスチャンの殉教》のスコアを贈り、狂喜したストラヴィンスキーは「私があなたの創造の才をいかに崇拝しているかをご存じなら、どれほどの喜びが私を襲った

  • 【対談】交錯する魂 ドビュッシーとプルースト 青柳いづみこ×吉川一義(ふらんす 2018年3月号)

    【特集】没後100年ドビュッシーの世紀 1918年3月この世を去った、不世出の大作曲家ドビュッシー。 その後のクラシック音楽に新たな地平を開いた、偉大なる芸術家の足跡をたどります。 ——————– 1917年のドビュッシー 吉川:昨年、青柳さんが企画・演奏されたコンサート「1917年のドビュッシー」を聴かせていただきました。あのとき演奏された《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》は、ドビュッシーの最後の大きな作品ですね? 青柳:はい、まったく最後の作品です。 吉川:一緒に演奏されたのは、ガストン・プーレの息子さんでしたね? 青柳:ヴァイオリンはガストンの息子のジェラール・プーレです。1917年の初演では、ヴァイオリンがガストン・プーレ、ピアノはドビュッシー自身でした。 吉川:じつは、その前の年の1916年4月に、プルーストは結成まもないガストン・プーレ四重奏団を自宅に呼んで演奏を聴いている

  • 【特集】「グレン・グールド生誕75年&没後25年」(レコード芸術 2007年9月号)

    「頭で弾くピアニスト」グールドの奏法 --彼の理想の音楽を表出させるために 「彼(グールド)はあらゆる点で実にすばらしいピアニストでした」とエマニュエル・アックスはデイヴィッド・デュヴァルのインタビューに答えて語っている。 「なんという創造力でしょうか! それに彼の演奏の正確さはまさに圧倒的です。彼はピアノに全然問題のなかった人の例と言えます」(『ピアニストとのひととき』) デュヴァルも同感で、グールドの演奏はアルトゥール・ルービンシュタインと同じように多くが頭の中でなされ、ピアノに絶えず時間をかける必要はなかったと応じている。 モスクワでグールドの実演を聴いたリヒテルは、彼のようにバッハを弾くことは自分にもできる、と語った。「ただし、ものすごく練習しなくちゃならないんだ・・・」。 『グールド二十七歳の記憶』にはおもしろい場面が収録されている。バッハ『パルティータ第2番』を演奏中に突然弾く

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