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ブックマーク / www.cafe-montage.com (3)

  • ゴルトベルク変奏曲 目を閉じるアリア  | Cafe Montage

    アリア、とはなんだろう。 J.S.バッハが書いた一つの長大な変奏曲が1741年に出版された、その初版楽譜の扉には以下のように書かれている。 Clavier Ubung (- 鍵盤練習曲) bestehend (- によって成り立つ) in einer (- あるひとつの) ARIA (- アリア) mit verschiedenen Verænderungen (- それぞれ異なる変奏と) 日語を並べ替えると 「ある一つのARIAと異なる変奏によって成り立つ鍵盤練習曲」 となる。 この作品が『ゴルトベルク変奏曲』と呼ばれる理由については、フォルケルという人が出版した「バッハ伝」の中にある逸話がもとになっている。 優秀なチェンバロ奏者ゴルトベルクが、不眠症の伯爵に頼まれて眠れない夜ごとに、彼の枕もとでこの作品を演奏していた…というのであるが、洗礼年を見る限り、ゴルトベルクという人がその時ま

    ゴルトベルク変奏曲 目を閉じるアリア  | Cafe Montage
  • 忘却によって記憶する、イマージュ | Cafe Montage

    忘却は消しゴムではない。 もしくは、消しゴムは忘却ではないというべきなのだろうか。 すでに、何を言っているのかわからなくなってきた。 脳は何かを消すのではなく、終わらせるという話を読んだ。 何も知らないふりをしてみよう。そうすると私は、数々のイマージュと直面することになるのだが、ここでイマージュ"Image"というのは、私が感覚を開けば知覚され、閉じれば知覚されなくなるような、最も漠然とした意味でのイマージュのことである。 ―『物質と記憶』ちくま学芸文庫刊 「私の身体は、唯一の瞬間の中で考察されれば…」とアンリ・ベルクソンは書いている。 私の身体に影響を及ぼす諸対象と私の身体が働きかける諸対象のあいだに置かれた一つの伝導体である。 ―『物質と記憶』ちくま学芸文庫刊 哲学者アンリ・ベルクソン初期の主著である『物質と記憶』(1896) は、その文庫を手にいれてからずっと、棚の飾りだった。読

    忘却によって記憶する、イマージュ | Cafe Montage
  • 終りの音楽 | Cafe Montage

    永遠に続く 永遠に終わらない いつか終わる 絵画は平面 もしくは平面に近いものに固定され 永遠にそこにあって いつか終わる 過去は どこに固定されているのか 永遠に保存されて いつか終わる 不滅は いつか死に絶える ある時 例えば髪の毛を洗った後 タオルで頭を無茶苦茶にしている最中に すべての疑問が一つの問いに集約されて その問題が解けた と確信することがある。しかし、自分の人生がそこで終わってしまうことに対する抵抗と怠惰を覚えて やがてすべてを忘れてしまう。 起きながらに夢を見ることがあるかといえば そんなことはしょっちゅうある。目を開きながら見る夢の中でひらめいた良い考えを そのまま発話して目の前の人に伝えようとすると とんでもないことになる。そのような言葉 人に知られずに消えてゆく言葉を 今は書き綴っておきたいと思った。 サミュエル・ベケットはピアノを弾いた。主にハイドンからシューベ

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