歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ。 L・ウィトゲンシュタイン Ⅰ 「現在」としての未来 「今」と「未来」とは、とりわけ「建築」における今と未来とは何であろうか。それらについて「問う」ことが可能であるならば、それは如何なる方法においてであろうか。 私は先日、一九七〇年大阪万博で展示されたタイムカプセルを目にする機会があった。そしてそこには、三十年後すなわち西暦二〇〇〇年から五千年後(!)に至るまでの百年毎に定期的に開封されると説明されていた。人類の進歩と調和・・・これは、西暦一九七〇年時点の日本において「五千年後」なる時間概念が社会的リアリティを有していたことを示す興味深い事例となるだろう。しかし、その僅か三十六年後すなわち西暦二〇〇六年現在の段階で、「五千年後」という概念に現実性を感じることは難しい。それは、環境破壊や人口問題あるいは政治的経済的不