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voiceと教育に関するfunaki_naotoのブックマーク (2)

  • 社会学者が合唱コンクールについてつぶやいたら炎上したので。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)

    アウトサイダー合唱人な私にとっては、どっちの立場もわかるのでなかなか面白い炎上騒ぎであった(対岸の火事感)。 ※色々と追記してもまだ誤読が多いのでさらに追記して明記しておくと、 ・この記事の題である「表情」云々の話は、元ネタの古市氏の一連のツイートから見たら「傍論」ですよ! ・色々な方向に燃え上がっている中で、「脇で盛り上がっている話題」「横で色々つぶやいている人々」が面白かったからまとめたんだよ! ・古市氏が「表情の話」をメインにしていないことなんて、知ってるよ! ・古市氏の元ツイートは記事の最後に追記したよ!「合唱の人は整形した方がいい」なんて言ってないのは(私がリアルタイム&現在確認した範囲では)確かだよ! ・そのこと(整形しろって言ったか言ってないか問題とか、古市氏の来の問題意識)と、「この記事の題」である「合唱っぽい表情についての話」は全く関係ないよ! 発端 だそうなので、

    社会学者が合唱コンクールについてつぶやいたら炎上したので。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)
  • 竹内敏晴 (1999) 『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫

    このブログの主目的は、(1)英語教育について根的に考え直すこと、(2)英語教育現場の豊かな知恵をできるだけ言語化すること、(3)英語教育に関する良質のコミュニケーションを促進すること、です。このブログでの見解などは柳瀬個人のものであり、柳瀬が所属する組織や団体などのものではありません。 教師のもつ最大の手段は声であり、からだだ。声とからだの重要性は、ICTがますます発展し情報伝達だけならオンラインでもできる現代においてますます重要になっている。なぜ人と人が同じ時空に身体を共存させ教え・学び合わなければならないのだろうか。声とからだを十全に使わないのなら、教師はオンライン手段に取り替えられればいいだけの存在ではないか。 教師は、もっと生の声とからだに注意を払うべきだろう。単に「標準的な発音」とされる音を出すだけでなく自分がどのような声で生徒と関係を築いているのか、単に立って動いているだけで

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