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歴史に関するfutenrojinのブックマーク (251)

  • 日本人だけが知らない事実…世界三大古戦場に「関ヶ原」がランクインしている納得の理由 海外では「世界史的に稀有な出来事」とされている

    ロシアウクライナ侵攻の根はチンギス・ハンが作った 2022年2月、ロシアウクライナに軍事侵攻して、世界に大きな衝撃を与えました。日でもこの戦争への関心は高く、報道に心を痛めている人はたくさんいます。ニュースでは街頭インタビューなどで、「早く戦争が終わってほしい」と願う人の姿がたびたび報じられています。 では、同じ街頭インタビューで、「なぜロシアウクライナに軍事侵攻したのですか?」と聞いたとしたらどうなるでしょうか。70〜80点レベルの回答ができる人は、非常に限られるのではないかと思います。 日人は知的レベルが高いとされてきたはずなのに、情報があふれすぎているせいなのか、物事を深く知ろうとする意欲が薄れてきているように感じます。大切なのは「どうしてこうなっているのか」に関心を持って調べること。まずは知識を持つことが、深い議論につながります。 私の解釈では、ウクライナ戦争に関わる発端

    日本人だけが知らない事実…世界三大古戦場に「関ヶ原」がランクインしている納得の理由 海外では「世界史的に稀有な出来事」とされている
  • 日本人の大半が知らない「競輪」誕生までの混沌とした歴史 | 英国人記者がたどる『KEIRIN─車輪の上のサムライ・ワールド』

    はじめて日の土に触れた自転車タイヤは、1865年にアメリカから港町・横浜に到着したものだった。その詳細はあやふやだが、日の太平洋岸に船が停泊しているあいだ自転車に乗って異国の地でのんびりと愉しもうとした船員が持ち込んだ、というのがいちばん有力な説だという。 自転車の登場は、明治時代(1868-1912年)初期における西洋科学、工学、文化、娯楽の流入の一部だった。この時代に日の産業は急速な発展を遂げ、政治と社会構造も大きく変化した。 当時の一般市民はみな、「富国強兵」という国民精神に身を捧げることを求められた。中国の戦国時代にルーツを持つこのスローガンは、政府と民間企業を結束させるために明治時代の指導者によって採用されたものだった。その裏にある目的はただひとつ、野心的な経済・軍事的変革によって日を欧米のライバルたちと同じ水準まで引き上げる

    日本人の大半が知らない「競輪」誕生までの混沌とした歴史 | 英国人記者がたどる『KEIRIN─車輪の上のサムライ・ワールド』
  • 19世紀ヨーロッパの娯楽だった人間動物園──いま明かされる「黒人村」の舞台裏 | 「野蛮」で「未開」で「動物的」な黒人の姿を観客に見せた理由

    19世紀初期に英国で生まれた「人間の展示」は、娯楽としてヨーロッパや北アメリカを中心に広まっていった。そして、それはスイスも例外ではなかった。いまでは「人権都市」の代表格とも言えるジュネーブにあった「黒人村」の全貌が明らかになりつつある。 スイスのロイカーバート村に滞在した小説家のジェームズ・ボールドウィンは、次のように記している。 「このスイスの小さな村に私より前に黒人が足を踏み入れたという形跡はどこにもなかった。ここへ来る前ある人からきみは村の『注目の的』になるぞと言われたとき、私は、それを、スイスでは私と同じ肌の色の人がめったに見られず、都会人は田舎へ行くとなにかしら『注目の的』になるという意味だと思った。この世界にニグロを見たことのない者がまさかいようなどとは思ってもみなかったのである。たぶんそれは、私がアメリカ人だからだろう」(『アメリカの息子のノート』せりか書房) しかし、ボー

    19世紀ヨーロッパの娯楽だった人間動物園──いま明かされる「黒人村」の舞台裏 | 「野蛮」で「未開」で「動物的」な黒人の姿を観客に見せた理由
  • アドルフ・ヒトラーはそもそもなぜ「ユダヤ人」を憎んだのか? | 諸説と歴史的な文脈をイスラエル紙がわかりやすく解説

    アドルフ・ヒトラーがあれほどユダヤ人を憎悪し、虐殺したのには個人的な理由があったのではないかと、これまでさまざまな説が提示されてきた。だがヒトラーを歴史的な文脈で捉えると、異なる理由が見えてくる。イスラエル紙「ハアレツ」のユダヤ人記者が簡潔にまとめる。 アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を憎んだ原因を問わずして、ホロコーストを考えることはできない。 彼の政治綱領である『わが闘争』ではその憎しみの説明に紙幅がかなり割かれており、その憎しみは熱狂的なドイツ国家によって明白に共有されたものだった。とはいえ、ヨーロッパのユダヤ人に対するその行為が、性質と規模の両面であまりに途方もないものだったために、研究者らがもっと個人的な原因を探そうとしたのも当然ではあった。 ヒトラーの行為を説明する何らかの深く個人的で心理的な傷があったという証しを探して、学者やその他の人々が入手できるあらゆる証拠を調べたのも無理は

    アドルフ・ヒトラーはそもそもなぜ「ユダヤ人」を憎んだのか? | 諸説と歴史的な文脈をイスラエル紙がわかりやすく解説
  • 歴史学者ミシェル・ペロー「女性の多くは、男と女でわけられたシステムに満足していた」 | 女性がいつも犠牲者側だったわけではない

    フランス人歴史学者ミシェル・ペロー(95)は高齢をものともせず、階段の上り下りをいまも続ける。それは、身体的な意味でも精神的な意味でもある。彼女は過去から現在そして未来、歴史から人類学、そして文学へと駆け上がる。その足取りの軽さは、どの世代でも真似できないほどで、彼女ほどの高齢となれば唖然とするほかない。 ジョルジュ・デュビィとの共著『女の歴史』など、女性史研究におけるパイオニア的存在であるペローはこのほど、ジャーナリストのエドゥアルド・カスティージョと共に『フェミニズムの時代』(未邦訳)を刊行したばかりだ。そのエネルギーは尽きることを知らない。そんな彼女に、スペイン「エル・パイス」紙がインタビューした。 「フェミニスト歴史家」ではない ──あなたは労働者、刑務所と犯罪者、女性の研究に生涯を捧げてきましたが、これら3者を結びつけているのは何でしょう? いずれも支配されている側だという点で

    歴史学者ミシェル・ペロー「女性の多くは、男と女でわけられたシステムに満足していた」 | 女性がいつも犠牲者側だったわけではない
  • 広島と長崎に原爆投下後、「原爆の父」オッペンハイマーがトルーマン大統領に言ったこと | 「私の手は血塗られている」

    マンハッタン計画を主導し、「原爆の父」と呼ばれたJ・ロバート・オッペンハイマーは、広島と長崎への原爆投下を見届けた後、ホワイトハウスでトルーマン大統領と会談していた。だがトルーマンはこの時のオッペンハイマーのある言葉に激怒して、それ以降、二度と面会を許さなかったという。 あいつは「泣き虫科学者」だ 広島に投下された原子爆弾が、生命を破壊し、世界を変えたとき、J・ロバート・オッペンハイマーは、ニューメキシコ州ロスアラモスの聴衆からの盛大な拍手を浴びながら、ボクサーのように手を握りしめ、祝った。 1945年8月のその日、興奮を覚えたオッペンハイマーは、原爆が設計・製造されたこの場所で、唯一の心残りについて聴衆に語った。それは、計り知れないほど多くの人々が犠牲になったことではなく、第二次世界大戦初期に「ナチス・ドイツ相手に原爆を使用するのに開発が間に合わなかった」ことだった。 しかし、オッペンハ

    広島と長崎に原爆投下後、「原爆の父」オッペンハイマーがトルーマン大統領に言ったこと | 「私の手は血塗られている」
  • オノ・ヨーコとダコタ・ハウス─ニューヨークにかけられた50年間の魔法 | アートシーンを築いたアイコンへの別れを惜しんで

    2023年に90歳を迎えたオノ・ヨーコが、50年間にわたるダコタ・ハウスでの生活に終止符を打ったと報じられた。このポップ・カルチャーのアイコンが不在となったいま、米「ニューヨーク・タイムズ」紙の記者が彼女への想いを綴った。 ニューヨーク市の不動産界では、多くのものがはかなく移り変わる。ビルは取り壊され、カフェはドラッグストアに変貌し、家賃は上昇する。だが過去50年間変わらないものがあった──オノ・ヨーコが、この街の「ダコタ・ハウス」に住んでいたことだ。1980年12月のあの悲劇的な日、ジョン・レノンがその建物のすぐ外で射殺されたあとも、彼女はなおそこに留まった。 長年のあいだ、観光客もニューヨーカーも、このアーティスト兼歌手にしてニューヨークのアイコンである彼女にひと目お目にかかれたらと願いつつ、アップタウンを歩いてきた。オノの存在が、ダコタ・ハウスの神秘的な雰囲気を支えていたのだ。 レノ

    オノ・ヨーコとダコタ・ハウス─ニューヨークにかけられた50年間の魔法 | アートシーンを築いたアイコンへの別れを惜しんで
  • クリストファー・ノーラン監督が語る『オッペンハイマー』と「ハリウッドのこれから」 | 『オッペンハイマー』は「究極の強盗映画」

    クリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』が興行収入5億ドルを突破し、同日公開の『バービー』とともに話題となっている。日公開未定のこの作品について、またハリウッドが抱えるストリーミング配信やストライキの問題について、英紙「フィナンシャル・タイムズ」が監督にインタビューした。 監督人が考える「大反響の理由」 青いボタンダウンシャツに黒のスポーツジャケットを着たクリストファー・ノーランが、ダイニングルームに入ってくる。ロサンゼルスのおしゃれエリアであるロス・フェリズの人気のレストラン「リトル・ドムズ」のドレスコードも余裕でクリアだ。 ベストとブレザーで現場を率いるこの監督であれば、それも当然かもしれない。超カジュアルが基のハリウッドで、彼のフォーマルさは、ほとんどカウンターカルチャーといえる。 ノーランがブース席の隣に座り、我々はロサンゼルスでの暮らしについて話しはじめる。

    クリストファー・ノーラン監督が語る『オッペンハイマー』と「ハリウッドのこれから」 | 『オッペンハイマー』は「究極の強盗映画」
  • ピーター・ターチン「米国には終焉の時代が訪れ、共和制は衰退する」 | 来るべき暴力的な激動の時代の、予測される結末は…

    ピーター・ターチンは1957年、ロシアの都市オブニンスクで生まれた。父はもともと物理学者で、のちに数学者にもなり、さらには反体制運動家にもなった。 ピーターがモスクワ大学の生物学部に在籍していた1977年、ターチン家はソビエト連邦から追放される。一家は米国へ移り住み、ピーターはニューヨーク大学で生物学の勉強を続けた。1985年にはデューク大学より動物学の博士号を授与されている。 1990年代後半、ターチンは奇妙な行動を起こす。新著『終焉の時代』によると、当時ターチンは、動物環境学における「興味深い諸問題」はすでに解決されていると感じていたらしい。彼は専門を歴史学に変更する。 「同じ複雑系科学のアプローチを、過去と現在における人間社会の研究に応用するにはどうしたらよいかを考えるようになりました」 ターチンとその同僚たちは、このアプローチを「クリオダイナミクス」と呼ぶ。彼らは、自分たちが人類の

    ピーター・ターチン「米国には終焉の時代が訪れ、共和制は衰退する」 | 来るべき暴力的な激動の時代の、予測される結末は…
  • ピーター・ターチン「近い将来、米国が2つか3つの国に分裂する可能性は充分ある」 | 「米国のエリートは現状を理解していない」

    ──どこかで読んだことがあるのですが、ビル・ゲイツと平均的な米国民の富を比較すると、西暦400年に最も金持ちだったローマ貴族と平民の富の差にだいたい等しいそうです。もしかしたらちょっと間違えて覚えているかもしれませんが、ともかく私が言いたいのは、これはとても許しがたい数字だということです。 その方法は私も使いますよ。ある年のトップの資産を平均年収と比較するのです。これもパターンを見出す方法のひとつですね。 ──そこで2020年前半の米国を見たとき、こうした指標が赤信号を示しているのがなぜなのか、教えていただけますか? エリートは過剰生産されています。あなたがおっしゃるところの「ウェルス・ポンプ」もあります。移民問題もあるし、政治の機能不全も問題です。

    ピーター・ターチン「近い将来、米国が2つか3つの国に分裂する可能性は充分ある」 | 「米国のエリートは現状を理解していない」
  • 皇帝ネロの劇場を発掘、文献で言及もこれまで未発見 伊ローマ

    ローマ(CNN) 紀元1世紀のローマ皇帝ネロが所有していた私設劇場がイタリアの首都ローマで発掘され、専門家から「類いまれな」発見と呼ぶ声が上がっている。発見場所はバチカン市国からわずか数メートルの場所だった。 ローマ市の特別監督官であるダニエラ・ポッロ氏が発表した。ここはネロが詩や音楽の試演を行っていた場所で、現在のサンピエトロ大聖堂の近くに位置する。 劇場の存在については大プリニウスによって書かれたローマ時代の文献で言及されているが、これまで場所が確認されておらず、歴史家を困惑させていた。 ネロは第5代ローマ皇帝として紀元54年から68年まで統治した人物。指導者としては不人気であり、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)と放蕩(ほうとう)で有名になった。 遺跡には大理石の柱や金箔(きんぱく)による装飾、ネロの演劇で使われた衣装や舞台背景の遺物を収めた保管部屋などが残されている。 今回の発掘は、コン

    皇帝ネロの劇場を発掘、文献で言及もこれまで未発見 伊ローマ
  • かつてKCIAの“拷問部屋”があった韓国のホステル 「悲鳴が廊下にこだました…」 | ソウルの観光客が知らないおぞましい歴史

    ソウルのユースホステルには「立ち入り禁止」の地下がある。独裁政権時代にスパイ機関KCIAの拷問部屋として使われた場所だからだ。しかし、いまここに宿泊する観光客はその恐ろしい歴史を知らない。 韓国の過去と現在を象徴 ソウル中心部にあるこのホステルには、魅力がたくさんある。 客室はこぎれいで、予算に限りのあるK-POPファンや、休暇を過ごす家族連れにも手頃な料金で、広さも充分だ。風光明媚で緑豊かな南山(ナムサン)の麓に建ち、屋上からは街のパノラマを一望できる。 ただ、建物の地下に行くのはお勧めしない──。 春には桜が咲き誇り、登山道が整備された南山は、ソウルの観光客に最も人気のある場所として親しまれてきた。だが少し前までは、「南山に行く」と言えば、別の不吉な意味があった。 戦後の独裁政権時代、その言い回しは、民主化運動の参加者を韓国中央情報部(KCIA)に連行し、尋問することを意味していた。拷

    かつてKCIAの“拷問部屋”があった韓国のホステル 「悲鳴が廊下にこだました…」 | ソウルの観光客が知らないおぞましい歴史
  • 「鰻丼」を食べる人が知らない"昔の驚きのタブー"

    土用の丑の日といえば、鰻丼。この鰻丼、江戸時代には「鰻飯(うなぎめし)」とよばれていました。 この江戸時代の鰻飯、名前だけでなくその外見や内容も、現在の鰻丼とはまるで違っていました。 19世紀に江戸時代の風俗を描いた喜田川守貞『守貞漫稿』によると、江戸時代の鰻飯には、頭を取り除いた長さが3~4寸(約9~12センチ)という、ドジョウのように小さな子供のウナギの蒲焼が使われていました。 昔の丼鉢はとても小さかった 鰻飯を盛る器は「丼鉢」といいましたが、この丼鉢も現在の鰻丼の器「どんぶり」とは異なるものでした。とても小さかったのです。 大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースが丼鉢の写真を残していますが、その大きさは現在の茶碗程度の大きさしかありません(小西四郎、岡秀行構成『百年前の日』)。 茶碗ぐらいの小さな丼鉢にフィットするように、9~12センチの子供のウナギが選ばれたのです。これを何杯も

    「鰻丼」を食べる人が知らない"昔の驚きのタブー"
  • 中国と国境を接する極東ロシアで、いま何が起きているのか? ロシア崩壊後の国際社会は? | ロシア出身の歴史家アレクサンドル・エトキントが予測

    ロシアに対する「復讐」もあり得る ──最初に分離独立運動が始まる地域はどこになりますか。 まずはコーカサスで始まり、そこから東へ拡大していくのではないでしょうか。それがどこまで広がるのかは、現段階ではわかりません。 ロシア帝国の未来の鍵を握るのはシベリアのはずです。ロシアの原油と天然ガスの大半は、ハンティ・マンシ自治管区とヤマル半島の西シベリアの2地域から出ています。これらの2つの自治管区が、湾岸諸国のように、自分たちの資源を自分たちで運用したいと考え出す可能性があります。そうなってしまうと、中央の権力は、生命保険を失ったも同然です。

    中国と国境を接する極東ロシアで、いま何が起きているのか? ロシア崩壊後の国際社会は? | ロシア出身の歴史家アレクサンドル・エトキントが予測
  • あの旨い生き物が中世イングランドでは「地代」として納められていた! | 日本人も大好物

    中世イングランドではウナギが地代として納入されていたという。だがいったいなぜそんな慣習があったのか? 世界の知られざる事象を紹介する米トラベルメディア「アトラス・オブスキュラ」がその謎に迫る。 中世の地図製作法を専門にしてきた歴史学者のジョン・ワイアット・グリーンリーは、ツイッター上で自称する「たまげたウナギ史家」になるつもりなどなかった。 博士論文でウナギについて書くことを最初に提案したときは、却下されてしまったという。それでもとにかく、グリーンリーは中世のウナギについて勝手に研究を続けると、ウナギに対する彼の情熱に興味をそそられる人がでてきた。 グリーンリーが具体的に研究しているのは、ウナギが中世イングランドの経済と文化で果たした役割だ。それは現代人の多くが考えるよりずっと重要な役割だった。中世イングランドでは、ウナギが実質的に通貨になっていた。中世の小作農はこの魚で地代を払い、またほ

    あの旨い生き物が中世イングランドでは「地代」として納められていた! | 日本人も大好物
  • “地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由 | 根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶

    太平洋戦争中の米国では、敵国・日の支持者と疑われた12万人以上の日系人が強制収容された。そのなかには、ハワイ在住の日系人も含まれていたが、戦後になるとその事実は長く忘れ去られた。 ハワイの悲しい歴史が見過ごされてきた背景には、国家の意図的な「黙殺」があったという。 1941年12月7日(日時間12月8日)、日軍がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は数年にわたって土に住む日系人を強制収容した。 だが、ハワイ在住の日系米国人も家を追われ、強制収容所に入れられた事実はこれまで無視されてきた。 「地獄谷」と呼ばれた収容所 1942年2月、ルーズベルト米大統領は特定の地域を軍管理地域に指定し、そこからの強制退去を承認する「大統領令9066号」に署名した。 強制退去の対象となる民族は特定されていなかったが、標的にされたのは日系米国人だった。「日系人はスパイで、日軍のために破壊工作をしている

    “地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由 | 根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶
  • 今もっとも邦訳が待たれるウクライナ人歴史学者セルヒー・プロヒーの新刊 - YAMDAS現更新履歴

    少し前にウクライナ史の必読書の話を Yuko Kato さんのツイートで知り、そこで挙げられているセルヒー・プロヒー(Serhii Plokhy)の名前に見覚えがあるなと記憶を辿ったら、クーリエ・ジャポンで彼のインタビュー記事を読んでいたようだ。 ウクライナ歴史学者セルヒー・プロヒー「プーチンの帝国主義は崩壊を目前にしている」 | 帝国が崩壊するときには戦争が起きてきた | クーリエ・ジャポン ウクライナ歴史学者セルヒー・プロヒー「この戦争の行き着くところはもはや明らかだ」 | この戦争の根的原因は? ロシアに接近したドイツの責任は? | クーリエ・ジャポン こういう話題に関して、クーリエ・ジャポンは押さえるべき人を押さえているな。 セルヒー・プロヒーはウクライナ人の歴史学者であり、ハーバード大学教授だが、一年以上前に洋書ファンクラブでも彼の The Gates of Europe

    今もっとも邦訳が待たれるウクライナ人歴史学者セルヒー・プロヒーの新刊 - YAMDAS現更新履歴
  • 英王室が「誘拐した」エチオピアの王子 彼の遺骨はいまも「人質」にとられている | なぜ王室は遺骨の返還を拒むのか

    19世紀、マグダラの戦いに勝利した英国は、エチオピアから若き王子を英国へ連れ帰った。アレマエフ王子はヴィクトリア英女王に気に入られ、幸せな生活を送ったとされるが、歴史家の見解は違うようだ。 アレマエフの遺骨はいまも英王室のウィンザー城に眠っているが、エチオピア政府は「誘拐された」王子の遺骨返還を強く求めている。 7歳で英国へ渡る 彼は英国王室の寵児だったのか、それとも戦争捕虜だったのか──。 エチオピアの若き王子が、故郷の東アフリカから8000キロ以上離れた英国のウィンザー城に埋葬されるに至った経緯は、いまだにその波紋を広げている。王子の遺骨の返還を拒んだ英王室は批判にさらされ、英国は再び植民地時代の過去に向き合うことを余儀なくされている。 ディジャズマッチ・アレマエフ王子は、アビシニア(現在のエチオピア)の王位継承者だった。1868年、彼の父で皇帝だったテオドロス2世は、英国軍との「マグ

    英王室が「誘拐した」エチオピアの王子 彼の遺骨はいまも「人質」にとられている | なぜ王室は遺骨の返還を拒むのか
  • 略奪美術品に対する日本の姿勢に“厳しい目”が向けられはじめている | ナチスや紛争によって奪われた作品の所有者は誰か

    5月31日、イタリアの画家アレッサンドロ・トゥルキの絵画が日からポーランドに返還された。今回の一件で、略奪美術品をめぐる日の微妙な立場が明るみに出された──。 16〜17世紀のイタリア人画家、アレッサンドロ・トゥルキの「聖母子」が見つかったのは、2022年1月、東京で開催されたオークションでのことだった。発見したのはポーランド文化・国家遺産省の職員で、発見後に作品の販売は中止され、返還に向けた訴えが開始された。 そして2023年5月、在日ポーランド大使館への返還式をもって、件はめでたく幕を閉じた。調査により、この聖母子画はポーランド南部プシェヴォルスクのルボミルスキ宮殿から、1940年にナチスによって盗まれたものだと判明した。 オークションに出品した元所有者は匿名のままだが、ポーランドへの無償での返還に応じた。ポーランドのピオトル・グリンスキ副首相は、この作品がポーランド南東ヴロツワ

    略奪美術品に対する日本の姿勢に“厳しい目”が向けられはじめている | ナチスや紛争によって奪われた作品の所有者は誰か
  • 沖縄戦没者の“遺骨の声”が聞こえる─台湾有事で沖縄はまた「捨て駒」にされるのか | 遺骨収集人・具志堅隆松の闘い

    ガマを掘る人「ガマフヤー」 具志堅隆松は、じめじめとしたガマ(洞窟)の中でしゃがみ込んだ。そばには、土埃でくすんだ色をした遺骨が積み重なっている。ルビー色のフレームに細長いレンズのメガネを鼻先に引っかけたその姿は、まるで宝石を鑑定しているようだ。 彼は縁の欠けた三日月形の骨を取り、荒れた手でそっと撫でた。大腿骨と脛骨の間にある半月板で、大きさから察するに、子供のものだろうと話す。 遺品も出てきた。ヤゴという名前の人の櫛、時計の文字盤、ボタン、歯ブラシ、錆びついた手榴弾のキャップ……。洞窟のすぐ外には、細かく張りめぐらされたクモの巣がかかっている。

    沖縄戦没者の“遺骨の声”が聞こえる─台湾有事で沖縄はまた「捨て駒」にされるのか | 遺骨収集人・具志堅隆松の闘い