『世界のサブカルチャー』が刊行されて一月ほどに経ちます。この本の面白いところは第1章と第3章で、サブカルチャーのいちジャンルとして「アート」を紹介しているところではないでしょうか。それも例えば「アート・建築・家具」と三題噺的に特集を組んだ「Casa BRUTUS」誌(3月10日発売号←これを書いてる時点で出たばかり)などと並べてみれば、やはりどことなくアンダーグラウンドな風合いがあるところに「サブカルチャー」らしさがあるようにおもいます。 さて、私もそうですが、アートと言われるとどうしても身構えてしまいます。ときにはその裏返しでしょうか、あからさまな敵意が見られることもあります(例えば村上隆さんのネットでの叩かれ方に顕著なように)。そういったことは、アートに対する距離感の遠さ、つまり鑑賞するためには美術室に額縁入りで飾られた作品を理解しなければいけないという教科書的というか教養的というか、
2008年03月10日12:45 カテゴリTaxpayerMoney 日本はヤバくても、東京はヤバくないかも 世界中どこでも生きていく自信がある私が、なぜよりにもよって日本に住んでいるか。 我ながら謎というのかわかっていても言語化できないという感じだったのだが、これでクリアーになった。 日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介 - 分裂勘違い君劇場 いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。 日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。 今住んでいるのが、東京だから、だ。 日本はヤバいとニュースは言う。先進国の下位だと統計は言う。 しかし、東京に住んでいると、その実感は薄い。 薄いどころか、32階の窓から一望すると、「これのどこが衰退する経済だ」と裏切られた思いになる。 しかし、東京を「日本という
「仏教2.0」なる単語が飛び出す記事を読んで、なんだかなぁと思っていたのですが: ■ あの世とこの世をつなぐインタフェースの展示会、光明寺で開催中 (Engadget Japanese) 中島聡さんの『おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由』を読んでいて、実は「寺のIT化」は時代のニーズなのかもしれないと感じました。そんなことを考えた箇所を引用すると: ブログについて常々思うのは、僕が死んだら誰もブログに書き込まなくなるのだし、死後もずっと読めるようにしてくれ、ということですね。そんなサービスを誰か提供してほしい。骨になったらコミュニケーションもとれないのだから、お墓を残していても意味ないけど、ブログをインターネット上に置いておけば、30年、40年たったあとでも誰かが見に来てくれるかもしれない。お墓に永代供養料を払うお金があったら、ブログを維持するほうに使いたい。 という部分。「
TBSラジオ「Life」速水健朗さんゲストの回を聴きました。先に出た新書の内容を中心にいろいろな議論がありましたが、どれも読者の疑問とリンクしていて興味ぶかく聴けました。いつものクセでメモを取りながら聴いていたのですが、後でメモを読みながら放送をふりかえってみたらおもしろかったのでここに書きます。かんたんなまとめです。 自分探しは世代、個人によって受け取り方がちがう 肯定的=中田英寿 否定的=イラク人質事件 二面性 定義もあいまい 連想するイメージも多様 自分探しのルーツはバックパッカー 見聞を広めたい 好奇心を満たしたいという層 どこかのタイミングでベタな自分探しにシフトした ここが最初の論点でした。世代によって受け取り方がちがうというのはわたしもそうおもっていた。たぶん、今の25歳あたりがひとつの区切りになっていて、そこから下の世代はあまり自分探しといったことは考えないのかな、とか(印
●FUGITIVE FROM JUSTICE(正義からの逃亡者) ワイズマン裁判長の言葉が「本件はふだんの刑法事件とは違う。逃亡犯の引き渡しという特殊なケース」と通訳された直後から、三浦和義(60)の顔がみるみる赤くなってきた。「今、おっしゃったのは逃亡犯ですか? 先ほどおっしゃられたのは逃亡犯ということですか」とそれまでの静かな口調から一変して1トーン高い声で語気を荒げた。 ざわつく法廷の空気を察知したワイズマン裁判長から「これはあなた自身が弁護士と話す内容。忠告しますが今話したことがあなたに不利なことに使われるということを注意してください」とたしなめられ、三浦和義は「イエス」とつぶやいておとなしくなった。 確かに三浦にしてみれば、日本で最高裁まで争われ無罪放免になってすでに10年、逃げも隠れもしていなかったという意味では、「逃亡犯」呼ばわりは納得しがたいものだ。 だが、後の報道でわかる
ロボット スポンサード リンク ・ロボット 「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです。」 「ロボット」という言葉は、チェコスロバキアの劇作家カレル・チャペックの作品「R.U.R ロッスムのユニバーサルロボット」ではじめて使われた。発表は1920年のことだった。20世紀後半になると、ロボットという言葉は日常生活でも使われるようになり、モノとしてのロボットの実用化も進んだ。 チャペックが描いた最初のロボットは、きっとブリキのオモチャみたいなものだろうと想像していた。ところが、この作品に登場するロボットは、外観は本当に人間と見分けがつかないし、知性も人間同様に備わっている。機械というよりは人造人間といったほうが近い。 人間の労働を肩代わりするためのロボットの生産工場が作品の舞台である。人間に奉仕するはずのロボットたちが、やがて団結し主人である人間に
「エンジン制御向けのLSIは90nm世代,マルチメディア用LSIでも40nm世代くらいが微細化の限界だと思う」(トヨタ自動車)。いわゆる「微細化限界論」が半導体ユーザーの口から積極的に飛び出し始めています(Tech-On!記事1)。 いま最先端の微細化技術の研究開発現場では,「少なくともデバイス技術的には32nm世代への微細化のメドが付いた。32nm世代に微細化することで45nm世代よりも性能を高められ,かつチップ面積を小さくできる」(国内大手論理LSIメーカー)ことが分かってきた状況です。その先の22nm世代についても「デバイス構造も含めて候補を検討中の段階。おそらく技術的には微細化の有効性は保たれるだろう」(同社)とのことです。 むしろ,半導体業界が抱える根本的な問題は,「微細化とともに投資費用が急騰し続けること」(クオンタムリープ 代表取締役の出井 伸之氏)にあります。90nm世代の
業績の回復が目立つ国内電機メーカー大手9社が,人員採用計画においても積極姿勢を見せている。2009年4月入社の新卒採用に2008年4月~2009年3月入社の経験者採用を加えた人数で,7社までが前年比増を計画,あとの2社も前年並みを維持するという。9社合計では前年度より16%程度の増加になる見込み。 最も大幅な採用増を計画しているのは東芝である(発表資料)。半導体や電力システムといった分野での開発力強化に向けて,単独で前年の1.5倍に相当する2000人を採用する計画。国内連結では前年より1500人多い4900人の採用を予定している。 三洋電機,シャープ,日立製作所,松下電器産業も2ケタ増を計画している。三洋電機は新卒の技術系で3割増の250人を採用するとした。太陽電池や2次電池といった得意分野を強化する狙いという。シャープは新卒採用における技術系の割合を前年の57%から62%へ拡大した(発表
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