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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (17)

  • 人はパンのみにて生くるにあらず - 空中キャンプ

    下北沢のいいところは、道を歩いていると、音楽CDの広告看板があることだ。通るたびに、なんだかたのしい気持ちになる。これからリリースされる新譜を宣伝している。いいなあ、CDの看板。すごくぜいたくをしているような気になる。 CDなんて買わなくても生活できてしまうのである。まったく必需品じゃない。これだけ景気がわるいとか、CDが売れなくなったとかいわれていて、CDそのものが販売フォーマットとして終わるんじゃないかとかいわれて、まあそうなのかも知れないけど、やっぱりわたしは、CD屋さんとか中古レコード屋さんとかがすきだ。 道ばたに新譜CDの看板があると、なんだか九〇年代の渋谷みたいな感じでキラキラしていてたのしいし、気持ちによゆうがでてきて、「人はパンのみにて生くるにあらず……」という心境になる。いくら経済がひっ迫しても、表現する人はいなくならないし、音楽だってかならずどこかで鳴っている。 下北沢

    人はパンのみにて生くるにあらず - 空中キャンプ
  • 『トライアングル』/Perfume - 空中キャンプ

    かしゆか&ザ・ファミリーストーン新譜。さらにファンク色を濃く、ディープにうねるサウンドへと進化した楽曲の数々はすばらしく、ワウ・ギター、リズムボックス、ハンドクラップ等で構成される前のめりのビートに圧倒されました。きっと十年後もターンテーブルにのせられ、プレイしつづけられるソウルクラシックスであると感じました。 ふざけるのはやめて感想を書くと、とてもクオリティの高い一枚でたのしく聴けました。どの楽曲もシンセ音が気持ちよくて、それだけで感心してしまう。ベースの音だとおもっていた低音が、いきなり音色をブゥイーンと変化させながらえらくかっこいい鳴り方をしてみたり、ボーカルが(機械で)どんどんピッチをずらして高域に向かっていったりと、音の遊びがあらゆるところに準備されていて、飽きることがない。へーこれすごいな、とおもいながら聴きました。 わたしは Perfume に、アイドルグループとしてのキュー

  • 僕の考えた叙々苑 - 空中キャンプ

    おもいきって告白するが、まだ叙々苑にいったことがない。どういうタイミングでいけばいいのかよくわからないのである。あの場所に、どうやってデビューすればいいのだろう。誕生日か。もしくは、記念日的ななにかか。あの店で、腹がふくれるていどべたとして、いったいいくらかかるのか。そもそも世間の人びとは、あれほどに敷居の高い店へ、ほんとうに足を踏みいれているものなのだろうか。 叙々苑はまちがいなく大人がいく店だ。考えてもみてほしい。あの店で高級焼肉を豪勢にたいらげている男性は、会社では数十人の部下に檄をとばしながら、株や先物取引などで莫大な利益をあげるやり手であるに決まっているし、その男性に連れられて店にきている女性にしたって、たくさんの男を狂わせる美貌と魔性の魅力で、さまざまな恋愛遍歴を奔放にかさねてきた愛のディーヴァだとしかおもえない。そんな男女のみがひしめく店に、どうやって入ればいいのか。 わた

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見たゼ! - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。初日。おもしろかったです! 予告編の時点からクオリティがきわめて高かったので、期待していたのですが、やはりとてもよかった。全四作のうちの二作目ということですが、ここまで進めてしまっていいのか、というほどにストーリーがぐっと展開し、イントロダクションにとどまっていた『序』とはがらっと変わる印象でした。各種アートワーク含めて、鋭い作品だと感じた。 わたしが『序』でいちばんすきなシーンは、セントラルドグマへ降りるミサトがシンジの手をにぎり、その手をシンジがしっかりとにぎり返すところだ。かつて(テレビシリーズで)ミサトがつなごうとした手は拒絶されてしまった。しかし今ならこのふたりは手をつなぐことができる。十数年たってもっとも変わったことは、ためらわずに手をつなぐことのできる関係性だ。『破』においてシンジは、みずからの手を差しだし、ふりしぼるような声で「来い!」と叫ぶ。彼らはつながろう

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見たゼ! - 空中キャンプ
  • 静岡にいったことはありますか - 空中キャンプ

    帰りの電車のなかでおかしな男に絡まれた。きっかけは、閉まりかけのドアにわたしが飛び込んだことだ。むりに入ったので、閉まるときに、ひじのあたりががつんとドアにぶつかった。すると、近くにいた土木作業員風の若い男(坊主頭、ピアス)がわたしに向かって、「迷惑なんだよ、オイ」「オマエみたいな奴がいるとむかつくんだよ」と悪態をつきはじめた。もとはといえばわたしが悪いのだが、ややこしいことになった。 しばらく無視をしていたが、「聞こえてるんだろう、テメー」「オイ、このやろう」などと言い続けるので、しかたなく急いで別の車両に移動した。もう、まいったなあ。ところが、移動したとなりの車両でしばらく立っていると、あろうことか、そいつもわたしを追ってくるではないか。どうしていいかわからない。男は「逃げんじゃねえ、オイ、テメー」と因縁をつけてくる。うーん、ややこしすぎる。しばらくうしろを向いて立っていたが、さすがに

  • 飲み会でとなりに座った女の子 - 空中キャンプ

    エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明さんは、飲み会でとなりに座った女の子に自慢できるアニメを作りたい、という気持ちで『エヴァ』を作ったという。とてもいい話である。わたしはこのエピソードがすきだ。なんだか元気がでてくる。この話を聞いて、「そんな低次元の目標のために表現をするのか」「誰にどうおもわれようと関係ないのではないか」などと反対意見を述べるのは、さみしいことだとわたしはおもう。 それまでの庵野さんは、自分がアニメ制作者であることを恥じ、たまたまどこかの飲み会に参加したときに職業を訊かれたりすると、会社員ですなどとごまかしていた。このままではいけない。友だちに呼ばれた飲み会で、ぐうぜんとなりの席に座った、CLASSYを読んでそうなコンサバOL(26歳)にもちゃんと説明できて、なおかつ「見たらぜったいおもしろいから、今度見てね!」と胸をはっていえるアニメを作る。それが庵野さんの目標だっ

  • 『増補 虚構の時代の果て』/大澤真幸 - 空中キャンプ

  • 2008-11-13 - 空中キャンプ

    世間には「なにをやっているのかわからない人」というのが一定数いる。いったいどうやって生計を立てているのか、ふだんなにをして生活しているのか、およそ見当がつかない人たちが存在するものである。仕事をしているのかどうかすら、よくわからない。彼らはふだん、どうやって日々の糧をえて、暮らしているのだろう。 日常、われわれの生活範囲では、「なにをやっているのかわからない人」との接点はほとんどないのだが、ふとしたきっかけ、たとえばどこかの店で友だちと飲んでいるときに、その中のひとりが、携帯で他の誰かと連絡を取っていて、「知り合いの人を誘った、もうすぐ来る」といったようなことになり、だいたい夜中の二時くらいになったあたりで、「なにをやっているのかわからない人」はふらりとやってきて、われわれのいる席に加わる。 黒いレザーの上着に、同じく黒いレザーのズボン、長髪を後ろでちょんまげ状に結わえたその男性は、年齢も

  • 「空中スキップ」/ジュディ・バドニッツ - 空中キャンプ

  • ジャパニーズ・イングリッシュ - 空中キャンプ

  • ひどいことになります - 空中キャンプ

    中学のころ、授業や掃除が終わってから、明日の予定や注意事項などを報告する時間が設けられていた。おそらく15分くらいである。名称はおもいだせないが、「帰りの会」と呼んでいたような気がする。ださいネーミングである。帰りの会。あれは正式名称だったのだろうか。 帰りの会では、なぜか出席番号順に発表をさせられた。たとえば、「野球部が県大会に進みました」とか、「花壇にひまわりが咲きました」などの話題をそれぞれが準備しておき、一日ひとりずつ教壇に立って発表するのである。進路のことや時事問題などでもいいし、とにかくなにかしらトピックを考え、それをみんなの前で話さなければいけない。 もちろん、こんなことを進んでやりたがる者は誰もいないし、みんな自分の番になると、できるだけあたりさわりのない話題を選んで1分くらいの発表をしてから、「これで終わりです」と宣言、そそくさと席に戻るといった感じできわめていいかげんに

  • 2008-04-21 - 空中キャンプ|ドレスコード

    ここ最近、しばらくやっていなかった中古CDショップ通いを再開している。あまりにも音楽を聴いていなかったため、「これはいかん」ということになり、リハビリもかねて中古CDを探すあたりから勘を取りもどしていこうというわけだ。 かなりブランクがあるので、わたしが買っているのは、2年前にでたペット・ショップ・ボーイズ(800円)とか、6年前にでたモーマス(550円)とか、アルバム名すら確かめずに買ったカエターノ・ヴェローゾ(1,200円)など場当たり的で脈絡がなく、まともなリスナーが聴く音楽ではないような気がするのだが、家でそうしたCDをかけて聴いているのはたのしいし、「次はサンタナ買ってみるか」などと聴きたい曲のリストがふくらんでいくのもいい。 そうして中古CD屋を見て歩いていると気がつくのだが、店に集まってくる人はたいてい服装が同じなのである。あれ、なんだろうね。たとえば新宿だと、紀伊国屋書店の

    futoshi0417
    futoshi0417 2008/04/21
    あそこの大学は・・・とかってくくられるのもこのあたりか
  • GAME / Perfume - 空中キャンプ

    かしゆか&ザ・ファミリー・ストーン新譜。たのしく聴きました。今回、初めてかしゆかストーンの音源を買ったのですが、これはクオリティ高し! すこし前あたりから、ラジオ等でいくつかの曲は聴いていましたが、あらためて聴くとやっぱりたのしい。くわえて、平日にわざわざCDショップへ足を向けさせるようなそわそわした感じ、イベントに参加できているような雰囲気もいい。あと最近、CDって落語しか買ってなかったからなおさら新鮮に聴けました。CDに音楽が入っているのがひさしぶりだった。 わたしが好きな曲は、やっぱり1曲目の「あたしゴスじゃない」です。かしゆかストーンの非ゴス宣言。ファンキーなリズムボックスのビートに、ハンドクラップとワウギター、もこもこしたベースラインが70年代っぽくてとても印象的。「♪あたしゴスじゃないもん、かっぽう着の方が好きだもん」というかわいいリリックが、ソウルフルなメロディにうまく乗って

    futoshi0417
    futoshi0417 2008/04/18
    かしゆかストーン
  • 2008-03-11 - 空中キャンプ

    TBSラジオ「Life」速水健朗さんゲストの回を聴きました。先に出た新書の内容を中心にいろいろな議論がありましたが、どれも読者の疑問とリンクしていて興味ぶかく聴けました。いつものクセでメモを取りながら聴いていたのですが、後でメモを読みながら放送をふりかえってみたらおもしろかったのでここに書きます。かんたんなまとめです。 自分探しは世代、個人によって受け取り方がちがう 肯定的=中田英寿 否定的=イラク人質事件 二面性 定義もあいまい 連想するイメージも多様 自分探しのルーツはバックパッカー 見聞を広めたい 好奇心を満たしたいという層 どこかのタイミングでベタな自分探しにシフトした ここが最初の論点でした。世代によって受け取り方がちがうというのはわたしもそうおもっていた。たぶん、今の25歳あたりがひとつの区切りになっていて、そこから下の世代はあまり自分探しといったことは考えないのかな、とか(印

  • 空中キャンプ - 異能の者、命を削った遊び

    ネット上で公開されているドキュメンタリー映画、「The Great Happiness Space Documentary 2006」を見まして、わりとおもしろかったのでちょっと感想を書きたいです。約75分。大阪ホストクラブで働く青年たちと、客として店を訪れる女性を追ったドキュメンタリー。 作品を見ながら、ホストというのは、異能、異形の集団なのだなあとつくづくおもう。彼らの異能とは、「他人の心を意のままに操る」ことである。おそらく、ホストを目指す青年たちの欲望は、他人の心を自由にできるという全能感を終着地点としている。それはきっと、とてつもない快感だろう。登場するホスト青年たちは、「客に、僕を好きにさせるんですよ。それが不器用な人もいるけれど僕にはかんたん」と、平然とした表情でいう。ホストが嫌われる理由もきっとここにある。利己的な理由から、人の心をあっさりと操作することのできる者は警戒さ

  • 2007-05-24 - 空中キャンプ

    最近、巷でちょっとだけ話題になっているアダルトビデオ、「もしも朝の通勤電車ががっついたベロキスをするカップルで満員だったら。」を見ました。これはレンタルされていないので、見るためにはDVDを買うほかなく、わたしは3,800円だして買ってきました。いくらか割高感がありますが、もう、すごく見たかったの。たまらないほどに。だから、渋谷の高架下にあるエロDVD屋さんの店内を、きわきわの集中力で探して、見つけてきました。監督は、二村ヒトシさん。名著、「モテるための哲学」*1の著者ですね。わたしは二村さんのにかなり傾倒しているので、このビデオもとてもたのしみにして見ました。いったいどういう内容か、DVDのパッケージにある説明文を転載します。 「身動きできない朝の通勤電車の中で、まず一組のバカップルが、人目もはばからずイチャつき、やがて濃厚な接吻を開始した。迷惑そうな、うらやましそうな周囲の人々。やが

  • 空中キャンプ:"Baby Don't Cry" /安室奈美恵

    新宿のHMVで、安室奈美恵のあたらしいシングルを試聴していたら、これがすごくいい曲で、ついうっかり店内で泣きそうになってしまった。「ベイビー・ドント・クライ」。もちろん、どうにかこらえましたけど…。さすがにわたしもいいおっさんなので、人前でアムロちゃんのCDを聴いて泣くわけにはいかないのです。まさにオッサン・ドント・クライである。この曲がなんかねえ、あまずっぱいんですよ。もう、すっかりまいってしまった。歌詞に描かれた風景がくっきりと浮かんでくるようである。 曲はちいさな風景のスケッチからはじまっている。主人公は、たぶん、二十五歳くらいの女の子なんだろうな。彼女がひとり、交差点で信号待ちをしているわけです。すると、向こう側の道に、どこか見覚えのある人が立っている。あれっ、あの人、誰だろう。よく見てみると、三年前に付き合っていた、いぜんの恋人だった。懐かしさがふっと湧いて、声をかけようとすると

    futoshi0417
    futoshi0417 2007/01/30
    オッサン・ドント・クライの記述が無かったら違った風に受け止められるのだろうか
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