藤井此蔵一生記(右)と、子孫に伝えるために此蔵が製作したとみられる専用の保管箱(個人蔵)=愛媛県歴史文化博物館提供 大塩平八郎の乱、黒船来航、安政南海地震、桜田門外の変――。幕末の大ニュースをリアルタイムで記録し続けた男がいた。松山藩領の大三島(おおみしま)・井ノ口村(現・愛媛県今治市)の出稼ぎ大工、藤井此蔵(このぞう)(1808~76年)だ。瀬戸内での経済活動を背景に、自らの足で広く人の声を集めるなど豊かな情報ネットワークがもたらした記録を、愛媛県歴史文化博物館の井上淳・学芸課長(日本近世史)が分析。「藤井此蔵が生きた幕末維新 大三島出稼ぎ大工の情報世界」と題してまとめ、同博物館の最新研究紀要に発表した。 此蔵は、江戸時代の身分上は農民。大三島に土地を持ち、耕作するものの、備中・木之子(きのこ)村(現岡山県井原市)を拠点とする出稼ぎ大工だった。一方で穀物などの売買を手がけ、塩田開発にも携