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言論とtwitterに関するgastaroのブックマーク (2)

  • トマセロの家 共在感覚 2

    共在感覚 1の続きである。 ボンガンドでは、「投擲摘発話」という発話の形態がある。この形態のひとつが、ボナンゴと呼ばれるものである。おもに中年から老年の男性、時には女性や若者も行うのであるが、一人で誰もいない広場に向かって演説をするのだ。2〜30分続くような、壮大な独り言である。木村先生のページで動画が見られるのでぜひ見てほしい。面白すぎる。こんな人が日にいたらちょっと危ない人だと思われるだろう。(先日、百万遍交差点のダイコクドラッグの前から交差点の中心に向かって演説している議員がいたけど、とてもボナンゴに似ていた。) そのボナンゴの内容だが、「明日みんなで橋を修理しよう」とか「村の男が森で迷って帰ってこない」など、ある程度中身のある話もあるものの、「孫が学校にいかない」とか「今日は暑い」とか、どうでもいいことも喋っている。 このボナンゴに対し村の人々は完全に無関心である。儀礼的無関心と

  • インターネット連続講座

    3. 投擲的発話 私は彼らの発話の形式を,「普通の大きさの声」か「大きな声」か,そして「相手を特定している」か「特定していない」か,という二つの基準によって,四つに分類した。 「普通の大きさの,相手を特定している」発話 = 通常の対面的会話 「普通の大きさの,相手を特定していない」発話 = ひとりごと,赤ん坊の泣き声など 「大きな声の,相手を特定している」発話 = 「遠距離会話」 「大きな声の,相手を特定していない」発話 = 「投擲的発話」(後述) 彼らの発話形式がこれら四つの象限を,自在にふらふらと浮動している。 たとえば日人であれば,遠くの人を呼ぶ必要が出てくると,「気持ちを切り替えて」呼ぶということをする。 しかしボンガンドの人々は,小声の発話から大声の発話まで,そして相手を特定した発話から特定しない発話までを,連続して変化させているのである。 村の長老Baohandaがボナンゴを

    gastaro
    gastaro 2010/02/22
    「ボナンゴの内容は情報伝達的な内容であることもあるが以下に示すような日本人の常識からすると村中に聞こえる大声で喋らなくてもいいように思えるものも多かった。「自分の孫が学校に行きたがらない」「暑くてたま
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