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ブックマーク / yukinomatusima.hatenadiary.org (11)

  • 画家の身分と職分 - 同心町日記

    画家の身分と職分 『美術手帳』の10月号で山下祐二が「教育方法を現行の美大システムから、丁稚奉公、徒弟制度に戻さない限り、なかなか超絶技巧を持った作家は生まれてこないでしょう」(「超絶技巧の絵画史」)とコメントしているが、山下の発言には「丁稚奉公」「徒弟制度」が前提としていたのは、身分制度によって職業が固定化されていた社会という理解が欠けていると思われる。身分制度によって職業が固定化されている社会では、社会的地位の上昇は望めない。そのため人々は自分の活動が許されている職業分野で業績をあげることを目標とするしかなかった。従って、もし丁稚奉公や徒弟制度が有効に機能していたとしたら、それは日の近世が特定の分野での成功を目標とするしかない状況であったからである。 しかし現代は、江戸時代のように身分と職業が結びついた社会ではない。現代では誰にでも職業を選択する自由がある。例えば画家という職業を、昨

    画家の身分と職分 - 同心町日記
    gauqui
    gauqui 2012/12/27
  • 村上隆×椹木野衣「アート憂国放談」(『芸術新潮』2012.5月号) - 同心町日記

    村上隆について。確か、以前は近代化以前の日の美術には「ヒエラルキー構造はない」と発言していたと思うのですが、今度は一転して、「日歴史において芸能、芸術の徒は非人であり、人ではないものに分類されているにもかかわらず、人間としてのアイデンティティを奪還せよというような近代西欧の教育思想のみの肥大が問題であった」と、身分制によるヒエラルキー構造を前提とした発言をされているようなので、この発言について少し考えてみたいと思います。 村上による「日歴史において芸能、芸術の徒は非人であり」という発言は、網野善彦(『中世の非人と遊女』)の名を借りて語られていますが、網野がいう「非人」というのは、要約すれば、来は天皇や神仏に直属する地位にあった人たちのことです。つまり神仏に仕える奴婢。「神奴」「仏奴」と、「聖別」されていた人たちのことです。彼らは聖なる存在に仕える身分であったので、一般の平民たち

    村上隆×椹木野衣「アート憂国放談」(『芸術新潮』2012.5月号) - 同心町日記
  • 永瀬恭一「脱美学―ブロークンモダンの諸相」(『組立−作品を登る』) - 同心町日記

    「批評がない」という定型句に対して、「批評はあるけれども構造に従属している」のが現状だという分析と考察は鋭い。おそらく、この論考を通して著者が読者に求めているのは、現状に対する認識の問い直しだけではなく、批評を十分に機能させない「構造」を自覚することで可能となる、より具体的なリアクションであると思うのだが、残念なことに、私にはとてもそうした行動は起こせそうにないし、大した意見も言えそうにない。ただ、それでもここには無視出来ない問題が提示されていると思うので、簡単に触発された考えを纏めておきたいと思う。 まず気になったのは、プロとアマの住み分けについての問題である。永瀬の論考では、プロ・アマの問題は、論を進めていくための前提として確認されているだけなので、突っ込んだ議論とはなっていないが、興味深いのは美術評論化連盟会長に就任した峯村敏明のインタビュー記事(毎日新聞2012年1月26日)から、

    永瀬恭一「脱美学―ブロークンモダンの諸相」(『組立−作品を登る』) - 同心町日記
  • 境澤邦泰「絵画と視線の行方」(『組立−作品を登る』) - 同心町日記

    絵画の平面性とテーブルの平面性の関係が、画家の視点から分かりやすく書かれているという点に於いて、非常に優れた文章、論考であると思うのだが、ただ一点だけ、「床面」についての件には少し物足りなさを感じる。床は、ただ足の裏で踏まれるだけの場なのだろうか。もう少し内容豊かに語られる場でないだろうか。ここで床面を問題とするのは、境澤が床について語る時に、舗床モザイクの存在が念頭にされていないと思われるからである。 なぜ、舗床モザイクなのかというと、ここでテーブル(table)とタブロー(tableau)の同義語性あるいは、関係性が語られる時に念頭とされているのは、テーブルとタブローに共通する平面性だと思うのだが、床ほど平面性、水平性を前提とした場はなく、そしてそこに描かれているのが舗床モザイクであるからである。もしかしたら壁面も平面性を前提としているではないかと思う人がいるかも知れないが、建築の壁面

    境澤邦泰「絵画と視線の行方」(『組立−作品を登る』) - 同心町日記
    gauqui
    gauqui 2012/04/10
  • 「物語り」としての日本美術史 - 同心町日記

    前回の所沢ビエンナーレのカタログに掲載させてもらった文章です。こちらの不手際で校正ミスが多く、読み難いものとなっていたので誤記を訂正してあります。アーサー・C・ダントーの『物語としての歴史』は、日歴史学に大きな影響を与えたですが、何故か美術史の分野では無視された存在となっています。 ##### ##### ##### ##### 「物語り」としての日美術史 井上幸冶 ●はじめに―「物語り」とは何か 「物語りとしての日美術史」とは、「日美術史」というナショナルヒストリーが、これまで如何にして「物語られてきた」のか、そこで何が語られてきたのかを問い直す試みである。ここでは「物語り論(narratology)」或は「歴史の物語り論(narrative theory of history)」と呼ばれる方法をもちいることで*1 、なぜ美術が「歴史」として「物語られる」のか、つまり時間的関

    「物語り」としての日本美術史 - 同心町日記
  • 『芸術新潮』(2011.9号) - 同心町日記

    『芸術新潮』の最新号に、「ニッポンの「かわいい」はにわからハローキティまで」という特集が組まれているが、ハローキティが、世界的に人気があるキャラクターであることを理由に、美術史を単純化して、「かわいい」というのが、古来より不変にある日のオリジナルティとして語るのは馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。日文化の原型を縄文時代やアニズムに求めて語るというのは、俗受けする方法ではあるが、日文化や美術の原型を「古層論」的に見つけ出して語るというのは、ステレオタイプ的な日主義でしかなく、それをいまだに無批判に受け入れ、歓迎しているのは、日の美術界ぐらいである。 縄文土器や石仏など宗教美術を見て「かわいい」としか言えないというのは、一言でいえば思想の欠如である。博物館や美術館の照明の下で見れば、それらは笑っているように見えるかも知れない。しかし、それらが制作されるに、どれほどの闇があったかを想

    『芸術新潮』(2011.9号) - 同心町日記
    gauqui
    gauqui 2011/09/18
  • 『美術手帳』(2011年3号) - 同心町日記

    太郎と「共同体」 『美術手帳』の最新号に岡太郎の特集が組まれていて、そこで研究者と称する人たちがいろいろと語っているのですけれど、来なら率先して岡の作品なり思想を批判の対象としなければならない研究者たちが、岡の作品を批判の対象とするのではなく、岡を批判あるいは無視した美術界を、「大衆」との距離の遠さから批判の対象としているのは不可解です。ここでは「大衆」との距離をもって、岡を批判し無視した美術界は閉鎖的で保守的であるが、メディア等を活用して「大衆」と近い距離にいた岡は先進的と見なされているようなのですが、なぜ岡を語るものさしが、作品でも思想でもなく、「大衆」との距離なのでしょうか。 確かに岡太郎は「共同体」を前提とした作家です。『太陽の塔』など岡には数多くのパブリック作品があることはよく知られていますし、岡の作品なり思想を理解するには、「共同体」を前提にしなければ

    『美術手帳』(2011年3号) - 同心町日記
    gauqui
    gauqui 2011/03/05
    岡本太郎
  • ドガ展/横浜美術館? - 同心町日記

    ドガの『障害競馬−落馬した騎手』は、仰向けに倒れる人物(落馬した騎手)と馬という組み合わせから、どことなくカラヴァッジョの『パウロの回心』を彷彿させる作品である。もっともカラヴァッジョの『パウロの回心』が、天からの啓示という劇的な瞬間を描いた作品であるのに対して、ドガの『障害競馬−落馬した騎手』は、落馬という間抜けな瞬間を描いた作品であるという違いがある。つまり落馬というのは、確かに一瞬の出来事ではるが、それは歴史的出来事ではないということである。カラヴァッジョの『パウロの回心』では、画面上辺を占める馬と、画面下方を占める人物(パウロ)の間に、遠近法を駆使して複雑な空間が描かれているが(頭部を画面手前の方向に向け倒れているパウロの姿)、ドガの『障害競馬−落馬した騎手』では、馬と人物の関係が平行であるので、そこには『パウロの回心』に見られる様な、複雑な空間もなければ、啓示という主題の必然性も

    ドガ展/横浜美術館? - 同心町日記
  • 『没後120年 ゴッホ展』/国立新美術館 - 同心町日記

    ゴッホの『緑の葡萄畑』は、まるでテーブルの上に置かれたじゃがいもを描くかのように(『籠一杯のじゃがいも』)、大地が上から見下ろされ、絵の具がキャンバスの上に置かれている。おそらく無意識的にテーブルとタブローが同義語なものであるという理解がなされているのだろうが、『緑の葡萄畑』では描かれた対象(葡萄畑)が、何であるかが判別不能になるまでに、対象が色彩に還元されて描かれているので(描かれてというより、絵の具がキャンバスの上に乗せられているので)強烈な印象を与えている。テーブルとタブローの同義語的関係という観点からいうと、ゴッホの作品には、テーブルがあり、その上に事物が置かれていて、その背後に壁がある、といった静物画の組み合わせを応用したと思われる作品が多い。たとえば『ゴーギャンの椅子』を見ると、そこで描かれているのは、もちろん机の上に置かれた事物ではなく、床の上に置かれた事物(椅子)ではあるが

    『没後120年 ゴッホ展』/国立新美術館 - 同心町日記
  • 風間サチコ展『平成博2010』 - 同心町日記

    無人島プロダクションで開催中の風間サチコの展覧会について。大作が多い風間の展覧会としては、小さなサイズの作品で纏めた感じがする展覧会であったが、ウィットに富んだ独特の風刺画には、随所に風間ならではの鋭い批判精神が見られる。以前から、風間の作品には松清張ばりの「昭和史発掘精神」を感じていたが、清張作品の面白さが緻密な取材と検証を基にした推理にあるとしたら、風間作品の面白さは、ターゲットとした事件なり人物の物語を延命させて玩具にしているところにあるだろう。 風間がターゲットとするのは、「日列島改造計画」、「満州国」、或いは「大日帝国」と、どれもみな壮大なフィクションの上に立脚した歴史(昭和史)である。風間はこれらの歴史事件・出来事を支えた物語のフィクショナルな要素を断罪するのではなく、その物語の架空性を徹底的に延命させることで、昭和史に対する独自の批判を試みるのだが、その様には何処か自

    風間サチコ展『平成博2010』 - 同心町日記
  • 「絵画を絵画として見る」ことの難しさ - 同心町日記

    宮城県立美術館で開催されていた展覧会は、おそらくピカソの作品がもっとも多く出品されていたことと、ピカソという名前の知名度(集客力)から「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」という展覧会名であったと思うのだけれど、ピカソの絵画において重要なのは、描写対象の形態から自由であるということではなくて、「線」が先行して画面を作っていくということであると思われるので、ピカソは、20世紀美術の王様であったかも知れないが、20世紀美術の「形相」(線)から「質料」(色彩)へという展開の流れからは、実はちょっとはずれたところがある。たとえばキュビズムのような、非常に実験的な試みにおいても、色彩は慎重に排除されているし、ブラックのように線が後退して、線と面の役割が逆転することもなく、常に線が主張しているのがピカソの絵画の特徴である。おそらくピカソには、色彩と線描を区分するという意識がなかったので、色彩という質料的な

    「絵画を絵画として見る」ことの難しさ - 同心町日記
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