さいきん立てつづけに日本のセクシュアルマイノリティ(LGBT)活動の閉鎖性について意見を求められた。そのうちのいくつかについては「他愛もない」といっては悪いけれど、閉鎖性であることそれじたいに無自覚な性質のものだったから聞き流しておいた。ところが、うち一件については、話を聞いているだけで不愉快な感情がむくむく芽生え、放置すればそのぶん害をなすような種類の悪質な閉鎖性だと判断したから、日本のLGBT活動における閉鎖性ははっきりいってちょっと異常だと、あらためて述べておくことにする。 NGOやNPO、映画祭やパレード、大学のサークル活動など、いかなる形態の活動であれ、セクシュアリティの多様性/セクシュアルマイノリティ(LGBT)の権利向上を求める集団/活動はすべからく閉鎖的であるべきではないというのが僕の持論だ。ここで「閉鎖的」というのは、狭義においては、参加者の質を問うてはならないというこ