■記者コラム 「多事奏論」 オピニオン編集部記者・田玉恵美 少し前に「お蔵入りの名簿」の話を書いた。 戦争中に新潟県の佐渡鉱山にいた朝鮮人労働者の名簿を写したマイクロフィルムが、新潟県立文書館にあるら…

■記者コラム 「多事奏論」 オピニオン編集部記者・田玉恵美 少し前に「お蔵入りの名簿」の話を書いた。 戦争中に新潟県の佐渡鉱山にいた朝鮮人労働者の名簿を写したマイクロフィルムが、新潟県立文書館にあるら…
教科書検定で指摘を受けた申請段階の令和書籍の教科書。「現存する世界最古の国家は、我が国なのです」という記述は改められた=東京都千代田区で2024年、宮武祐希撮影 文部科学省は19日、2025年度から中学生が使う教科書の検定で「未了」となっていた社会の歴史の2点について、合格にしたと発表した。過去4回にわたり不合格とされた「令和書籍」の教科書で、日本を「現存する世界最古の国家」とした記述など100カ所以上を修正して検定を通過した。 同社は多くの欠陥を指摘されたこれまでの申請図書を「文部科学省検定不合格教科書」と銘打ちネットなどで販売してきた。保守色の強い中学の歴史教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した自由社版や、育鵬社版などがあるが、文科省によると、24年度の需要に対するシェアは両社合わせて約1%にとどまる。 「令和書籍」の社長は作家の竹田恒泰氏。21年度検定版として販
Published 2024/04/02 16:47 (JST) Updated 2024/04/02 17:03 (JST) 日本文化人類学会は2日までに、アイヌ民族の遺骨の不適切な取り扱いが指摘されてきた過去の学術研究について「真摯に反省し、心から謝罪の意を表明する」とする声明を発表した。北海道アイヌ協会によると、国内外の学会が研究に関してアイヌ民族に謝罪するのは初めて。 アイヌ研究を巡っては、19世紀以降に遺骨が同意なく墓地から持ち出されるなど、民族独自の宗教観への配慮を欠いたとして、2012年以降、遺骨の返還を求める訴訟が相次いだ。協会関係者は声明について「一歩も二歩も前進したと思う。他の学会も足並みをそろえるか注視したい」と話した。
砂浜に立つと、海面から2本の巨大なコンクリート塔が突き出しているのが、数十メートル先に見える。その下には、今も183人の遺体が沈んでいる。 太平洋戦争中の1942年2月、山口県宇部市沖の海底にあった「長生(ちょうせい)炭鉱」で水没事故が起き、労働者が坑道に閉じ込められた。犠牲者183人のうち136人が、戦時動員された朝鮮人だった。 地元で長年、追悼や真相究明の活動を続けている市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は昨年12月、「遺族は高齢で、残された時間は少ない。遺骨を日の当たる場所に出してほしい」と政府に発掘調査を求めた。 しかし、地元選出の林芳正官房長官は今年1月、「埋没位置や深度が明らかでない。調査は困難」と拒否した。80年以上たっても、遺骨に光は当たらないのだろうか。(共同通信=丹伊田杏花) ▽水非常 長生炭鉱は瀬戸内海に面した山口県宇部市の床波海岸で、大正初期ごろに開鉱された
Published 2024/03/20 19:25 (JST) Updated 2024/03/20 19:37 (JST) 太平洋戦争中に活動した旧関東軍防疫給水部(731部隊)の元隊員の証言について、長野県飯田市の平和祈念館に展示するよう求めている市民団体が20日、市内で学習会を開いた。講演した明治大の山田朗教授(日本近現代史)は「加害の歴史を知らないと、諸外国との間で歴史認識のギャップが生じてしまう」と述べ、歴史を継承する必要性を強調した。 731部隊は戦時中、満州(現中国東北部)で捕虜に人体実験を行い、細菌兵器の開発を進めたとされる。隊員には飯田市などの出身者もおり、市民団体「飯田市平和祈念館を考える会」が市教育委員会に展示を求めていた。
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に建つ朝鮮人労働者の追悼碑。戦時中に動員された朝鮮人労働者の追悼を目的に建立された。市民団体が2001年に群馬県議会に請願し、自民党を含む全会一致で趣旨採択され、市民団体が県の許可を得て設置していた。 ところが、2014年になって県と議会の態度は一変する。保守系団体などが、追悼碑の許可取り消しを求める請願を県議会に提出したところ、賛成多数で採択された。ほどなくして、群馬県も不許可にする。そして今年に入り、群馬県は追悼碑をついに撤去した。 ただ、分かりにくいのは群馬県が不許可にした理由だ。市民団体が毎年開く式典で「政治的行事を行った」から不許可にするという。 確かに、群馬県はもともと許可した際にこんな条件を付けていた。 「宗教的・政治的行事および管理は一切行わない」 では、政治的行事とは何か。群馬県は、式典で市民団体が「強制連行」に触れる発言をしたことを問題
沖縄県の玉城デニー知事は15日の定例記者会見で、沖縄戦の混乱で米国に持ち出されたとみられる「第十三代尚敬王御後絵(おごえ)」「第十八代尚育王御後絵」の2点を含む沖縄由来の流出文化財が返還されたと発表した。
戦時中に沖縄から流出した文化財がこのほど米国で発見され、14日に沖縄県へ引き渡された。玉城デニー知事が15日の定例記者会見で発表した。発見・返還された文化財は22点。第二尚氏第13代国王尚敬と第18代国王尚育の御後絵(おごえ、琉球国王の肖像画)が含まれている。御後絵の実物が戦後確認されたのは初めて。これまで、染織家で沖縄文化史の研究に尽力した鎌倉芳太郎が大正時代に撮影したモノクロ写真が残されていたが、今回初めて実際の色彩が判明した。 県は2001年、御後絵など13件の流出文化財について米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録申請をした。23年3月、FBIから外務省を通じて、流出文化財22点が発見されたと県に照会があった。 FBIから高解像度写真の提供を受け、県はこれらの文化財が「沖縄戦の混乱で米国に持ち出された可能性が極めて高い」と判断し、県への移送を依頼した。FBIに登録した13
Published 2024/02/28 17:26 (JST) Updated 2024/02/28 17:32 (JST) 東京都は28日、太平洋戦争を体験した人の証言映像の公開を始めた。1990年代後半に都が撮影し、1人当たり10分間ほど。大半が初公開で、3月までに計122人分を都内4カ所で上映する。担当者は「平和の大切さを考える一助にしてほしい」と話している。 28日からは東京・池袋の東京芸術劇場で34人分を公開。このうち17歳で終戦を迎えた滝保清さんは、45年3月10日の東京大空襲で祖父母を助けられずに避難を余儀なくされた経験を証言し「悪いと思ったが、煙で息ができず目も開けられなかった。生きたいという本能だった」と語った。
ほとんどの人にとって、真実とは事実に合致する陳述を意味する。「私は今、セントヘレナ島でナポレオンの邸宅を見ている」という言葉が真実となるためには、その人が本当にそうしていなければならない。一方、ポストモダン哲学者は、真実/非真実は陳述そのものの属性ではないと主張し、それ自体は真実でもなく偽りでもないある言説が、いかなる真理で構成されているのかを歴史的に調べることが重要だと考える。科学は実験的な手続きを通じて、明確に公式化された用語で特定の命題を真理として確立する。宗教は複雑な修辞学的な方式によって、私たちが慈悲深い神的な存在の統制する世界に住んでいるという経験を生成することで、いわゆる「真理」を確立する。 真実に対する一般的な観点とポストモダンの歴史主義的な相対主義の間には、別の道があるのだろうか。精神分析学がヒントを与えてくれる。精神分析家は、真実(来談者の症状を説明する解釈)を適切な時
記録するということは、その時点の事実を後世に伝える意味があります。 記録したいことがあるので、記録する。それは過去のことも現在のことも同じです。あらゆるところに記録が残れば、必ず誰かの眼につき、考えるきっかけになるでしょう。 2024年1月30日付の信濃毎日新聞の記事と、2月1日の各新聞社の報道を合わせてみますと、2004年に群馬県議会も全会一致で旧陸軍岩鼻火薬製造所の跡地に設けられた高崎市の県立公園「群馬の森」への設置を認めた戦時下の朝鮮人労働者の追悼碑を、群馬県が2024年1月29日より2月11日までの工期で撤去する工事を開始。1月31日には、追悼碑はがれきの山になっていました。設置当時の団体の後継団体に対し、撤去費用約3000万円を請求する予定とのことです。 撤去工事の期間中は公園への立ち入りが禁止され、報道各社は上空から工事の様子を撮影しました。また、工事前日には警察を大量動員して
www.sankei.com 「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑が、歴史修正主義者たちの要求に乗じて(そう、“屈して”ではなく)群馬県によって撤去されようとしている問題。県議会が全会一致で賛同したという建立の経緯から碑それ自体を問題にはできないものだから、追悼集会での発言を口実にしたのだと考えざるを得ない。 そもそも「強制連行」は学術的にコンセンサスがあることであって、また追悼の対象となる人々が亡くなった経緯を伝えることは「追悼」という行為にとって欠かせない要素だ。「強制連行」という発言にクレームを付けることで強制連行という史実を否認しようとすることこそ、この四半世紀右派勢力が取り組んできた「政治的」活動ではないか。
強制動員された朝鮮人犠牲者追悼碑を建て管理をしてきた日本の市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」の石田正人さん(71)が24日、「群馬の森」公園にある追悼碑について説明している=群馬/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社 今月24日に訪れた、群馬県高崎市にある「群馬の森」公園。東京ドームの5.6倍の広さで、群馬の市民の憩いの場であるこの公園は、「朝鮮人強制動員」問題を巡る群馬県と地域の市民団体間の衝突で微妙な緊張感に包まれていた。これを表わすかのように、裏門の前には「工事のため1月28日午後5時30分から2月12日午前8時まで公園を閉園する」という内容の案内板がぽつんと立てられていた。市民が頻繁に訪れる広々とした公園が2週間ちかく閉鎖されるという異例の状況を迎えることになったのだ。 公園の裏門から入って3分ほど歩くと、2004年に群馬県と地域の市民団体が力を合わせてようや
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