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津波の傷痕がまだ残る漁港に立ち、海を見つめる千葉仁志さん(左)と父正志さん=宮城県南三陸町で、小川昌宏撮影 あの日まで、大切な人は確かにここにいた。生きた証しを取り戻したい。東日本大震災から11日で1年半。被災地には今も行方不明の家族を捜し続ける人たちがいる。 【あの日を風化させぬように】大津波、死者・不明多数 震災発生当日の写真特集 ◇「爪のかけらでもいい」 237人が見つかっていない宮城県南三陸町。漁師の千葉仁志さん(34)は沖に出るたび、姉の小野寺光子さん(行方不明時35歳)を捜す。「爪のかけらでもいい。ミイ、おれはあきらめないよ」。波間に目を凝らし、網を祈るように引き揚げる。 町東部にある歌津半島。千葉さんは震災後間もなく、父正志さん(64)と海に出ては網を仕掛け、朝に晩に引き揚げた。魚を取りたかったわけではなかった。「ミイだけでなく、他の人も見つけられたら」。網にかかるの
東日本大震災からちょうど16カ月が過ぎた。この16カ月、私は東北の被災地へと通い続けてきたが、被災地以外でのこの巨大災害に対する思いは急速に風化していることを強く感じるようになった。福島第1原発による原子力災害とその後の電力危機、原子力発電所の再稼働に対する関心はきわめて高いが、一方で巨大津波によって壊滅した地域の人々への思いは急速に失われている。「だいぶ復興も進んできたようだ」という印象を持っている人も少なくない。 ある仮設住宅暮らしの中年女性が、最近こう口にした。 「たくさん来てくれていたボランティの人がほとんど来なくなり、私たちは見捨てられたのかなって、さびしい思いです」 各市町村に設置された災害ボランティアセンターを経由して支援活動した人の数は、岩手、宮城、福島の3県合計では、2010年5月の17万1900人をピークに、2012年6月には1万6800人とほぼ10分の1に減っている(
2024年5月31日【雑貨と珈琲の店 サタケ】5月31日(金)~6月1日(土)臨時休業のお知らせ! 2024年5月27日『創菜旬魚 はしもと』5月28日(火)臨時休業のお知らせ! 2024年3月15日『食楽 しお彩』3月15日(金)臨時休業のお知らせ! 2024年2月22日『わたや』2月23日(金)~2月27日(火)臨時休業のお知らせ! 2024年2月22日『亜べとう整骨院』2月23日(金)~2月25日(日)臨時休業のお知らせ! 2023年11月26日『食楽 しお彩』11月27日(月)臨時休業のお知らせ! 2023年11月23日『オーイング菓子工房 Ryo』11月24日(金)臨時休業のお知らせ! 2023年11月21日『弁慶鮨』11月22日(水)臨時休業/11月23日(木・祝)臨時営業のお知らせ! 2023年11月21日【雑貨と珈琲の店 サタケ】11月22日(水)臨時休業のお知らせ! 20
南三陸町内を流れる河川三陸沿岸を襲った大津波は川を伝って町に侵入し、内陸でも広域に被害をもたらした。そのため宮城県では、河川の両岸に高い堤防を築く方針を決めた。安心のために必要という声がある一方で、町の景観の劣化を懸念する声もある。 河川の津波対策には、大きく分けて2つある。河口部に設けた水門で守る方法と、河口から上流に向けて必要な高さの河川堤防を築く方法だ。 宮城県内には防潮水門が17カ所あったが、津波で16カ所が壊れて機能しなかった。水門の作業に伴い犠牲者も出た。同県土木部は、2012年2月発表の「東日本大震災 公共土木施設等復旧方針」で、これまでの水門方式優先を改め、川幅を広げて両岸に十分な高さの堤防を建設することを明らかにした。 2011年末までに災害査定を実施して必要な堤防の高さなどを検証した。現在はコンサルタントに設計を発注している。地域住民への説明会は4月以降に順次開催し、早
廃業の波じわり 宮城・南三陸町の商工業者、震災の影響深刻 震災前は商店が立ち並んでいた南三陸町志津川地区の中心部 東日本大震災で商業圏が壊滅した宮城県南三陸町で、事業再開を断念する商工業者が増えている。中止・廃業は約2割に上り、態度を決めかねている事業者も今後、廃業へ傾く可能性がある。同町は大型店が立地する登米、石巻、気仙沼地域に囲まれ、商業圏の空洞化が深刻な地域。疲弊する地域経済に震災が追い打ちを掛けている。 同町志津川南町で鮮魚店を夫婦で営んでいた西城聖さん(76)は津波で店を流され、廃業を決めた。「体が動くうちは続けたかったが、もう80歳近い。冷蔵庫など数百万円の設備投資は無理だ」と説明する。 廃業か再開かを迷う経営者も少なくない。 同町歌津伊里前で中華料理店を営んでいた渡辺幸雄さん(56)は津波で店を失い、再開するかどうか悩む。最も心配なのは人口の減少だ。 「震災前の疲弊し
印刷 関連トピックス地震戸倉小学校が津波にのみ込まれた瞬間=昨年3月11日午後3時29分、宮城県南三陸町、阿部一郎さん提供 東日本大震災の津波で校舎が壊滅した宮城県南三陸町の戸倉小学校が、震災直後の避難状況や、児童らがこの1年間に感じたことなどを冊子にまとめる作業を続けている。地域住民からは、校舎が津波にのみ込まれる瞬間を撮影した写真も寄せられた。麻生川敦校長は「つらい記憶だが、後世に津波の記憶や教訓を引き継ぐためにも、しっかりと記録に残しておきたい」と話している。 海岸から約300メートルの場所にあった戸倉小では震災前から、避難場所を屋上と高台のどちらにするかという議論が続いていた。地震の後、麻生川校長らの判断で児童91人は高台に避難し、山頂の神社で夜を明かした。すでに下校していた児童1人と、避難後に自宅に戻った教職員1人が亡くなった。 同小は現在、20キロ離れた登米市の廃校で授業
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