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以前の記事に 抵抗できない状態の女性に性行為を強いること自体が、女性の人権を無視した、尊厳を踏みにじる行為だ。 自分の同意なく、性行為を強いられるということは、自分の体、心がモノ扱いされているということだ。自分の体なのに、自分の意思は無視され、他人の思うがままにされているということだ。 それが、どれだけダメージを与えるものなのか、わかっていなさすぎる。いや、わかろうとする気さえない人が多すぎるのだと思った。 悲しいが、これが現実だ。改めて、どれだけ性犯罪が世間に理解されていないのか、痛感した。 と書いた。 そのことにからめて、なぜ、性被害のひどさが、理解してもらいにくいのかということを、書こうと思う。 通常の性行為と、暴行脅迫をもちいた性行為と、何が違うのかわからないという、男性の声を多く聞く。(残念ながら、法曹界にも多く存在する) それを聞いたときは、倒れるかと思うくらいの、頭をなぐられ
レイプについて、進化生物学から答えている。 挑発的なタイトルや表紙とは裏腹に、まじめに、科学的に解き明かす。そして、オブラートにも修辞学的にも包んでいない、ある種の人びとの逆鱗を掻きむしるような結論に達する。さらに、こんな本を出せば大騒ぎになることを織り込んで、ある種の人たちの「主張」のいちいちに反証をあげている。 まず結論から。なぜ男はレイプし、女は苦痛を感じるのか?その理由は、養育の投資量に男女差があるからだという。 つまりこうだ。女は妊娠、出産、授乳に多大な時間とエネルギーを費やさなければならない。だから男選びも慎重になる。レイプは父親を選べず、子育てを困難にするため、女に大きな苦痛をあたえることになる。いっぽう男は養育投資が少ないことから、繁殖のため、多数の相手に関心を向けることになる。そんな男のセクシュアリティの進化が、レイプの究極要因だという。要するに男は色を好み、女は選り好み
今までレイプ・エロゲをやる女性が理解できず、怒りを抑えるのに必死でしたが この文章を読んでやっと理解ができました。 ワタシはセクハラされるのがあまりに嫌なため、逆転移のような心理的な現象すら経験した。 その上司と一緒にいるときは 「ワタシは個人的にこの上司が好きなんだ。尊敬できるし。 仕事できるし。だから、ちょっと触られても許せるんだ。気にしないんだ。」 と思い込むことにしてしまったらしい。 現実は、「本当にそうなんだ」と感じている。 ところが、家に帰ると、「なぜ、あんなことを思ったのだ。セクハラが嫌で仕方ないないのに!」 と自分の変な心理現象に怒りすら覚える。 けれども、これは、ワタシがストレスをやり過ごすために見出した方法だ。 1.セクハラは避けられない。 2.ならば、セクハラが嫌だと思えない自分になるしかない。 3.セクハラが嫌出ないという状況は、相手が好きだという状況以外にない。
以下、これもメモです。 私が、ずっと疑問に思っていることのうちの一つは、「性暴力で傷つく度合いは、個人差が異様に大きい」ということだ。 一般的には、顔見知りよりも見ず知らずの他人から受けたレイプのほうが、タッチやオーラルセックスよりも挿入されるレイプのほうが、被害者を深く傷つけると思われやすい。実際、裁判でも、前者よりも後者のほうが、重い刑罰を科されることが多い。ところが、ちょっとした性暴力だと思われやすい、満員電車での痴漢を受けることで、深く傷つく被害者がいる。大変な性暴力だと思われやすい、ストリートレイプを受けても、人生にたいした影響を受けない被害者がいる。 また、被害を受ける年齢が低いほど、深刻に傷つくと考えられることが多い。しかし、幼少時の被害がその後の被害者の人生与える影響が大きい、とは限らない。成人してからの被害であっても、その後の被害者の人生に与える影響が大きいことはよくある
⇒http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080417/1208441715 ⇒はてなブックマーク - 「二次元だから」レイプ凌辱大好きなのですか、お姉さん? - E.L.H. Electric Lover Hinagiku ⇒http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080418/1208505134 有村悠さんの叫びに胸衝かれるところあったので、勝手に反応してみる。 ■ 三次元と二次元、現実とフィクションをぼくは区別しない、というのを前提として―― 私の把握に拠るなら、むしろ区別している。端的には。「三次元」におけるモラルや倫理がフィクションにおいて反転するところにこそ原理的にもフィクションの醍醐味が所在する以上、倫理的反転はフィクションの意味と機能としての要諦。所謂フィクション論とはそうしたものであるけれども、なら、倫理道徳を「三次元」の範疇
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
初めて痴漢に遭ったのは初潮を迎えるより遥かに前だったと思う。といっても、わたしにそれがきたのは中三になってからで、ひとよりだいぶ遅かったのだけれども。9歳だったろうか、10歳だったろうか、とにかくそれくらいの歳だ。本屋で立ち読みをしていたら下半身を触られた。触り方が露骨だったので、おぞましいことと理解した。だがそれ以前にも、そのようなことはあったかもしれない。しかも幾度も。どういうことかというと、わたしはその本屋でよく立ち読みをしていたのだが、そうしているときに後ろから覆いかぶさるようにして本棚から本を抜く男がいた。そしてそのまま、つまり身体を密着させたまま、男もそこでそれを読む。わたしが移動するとついてきて、また身体を寄せてくる。おかしいとは思っていた。だが、性的なものという認識はなかった。しかし、そのとき、スカートのなかに手を入れられ、下着の上から下半身を触られて初めて、わたしは理解し
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