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無意識に関するggg123のブックマーク (3)

  • [書評]子どもの頃の思い出は本物か(カール・サバー): 極東ブログ

    暑い。猛暑だ、もうしょうがない。駄洒落を言っている場合ではない。が、そのくらいしか脳が動かない。せめても睡眠くらいは取りたい。と、夜は真夏向きのエアコンディションをするが、昨晩ちょっと設定を間違え、深夜、暑苦しさに目覚めることになった。暑苦しさで悪夢も見ていて、その悪夢から目覚めたという感じでもあった。 悪夢から目が覚めて、呆然としていた。襲われるとか殺されるとか、落下するとか突き刺さるとか、巨人に喰われるとか、そういうシンプル恐怖系の悪夢ではなかった。 夢のなかで私は四歳か五歳だった。夜になり部屋を開けると、部屋はがらんとしていて布団がなかった。私は呆然として空っぽの薄暗い部屋を見回し、お布団がない、お布団がないとつぶやいている。そのうち、お布団がないよ、お布団がないよ、お布団がないと眠ることができないよと、泣き出すのである。 実際には夢だから、寝ているのに。 夢のなかで幼い私は、悲しく

    ggg123
    ggg123 2013/07/11
    記憶が正確かどうかという問題とは別に、これまで考えられていたよりもはるかに強い関係が、記憶とアイデンティティの間にあることがわかってきた。
  • 杜子春の話の裏バージョン: 極東ブログ

    いつからか杜子春の話には裏バージョンがあるような気がしている。オモテのバージョンはあれだ、芥川龍之介名作杜子春というやつで、青空文庫で無料で読むことができる(参照)。筋書きは誰もが知っていると思うが、ウィキペディアにあるように(参照)、こんな展開だ。と引用するにはちと長いし、概要からはわかりづらい意外なディテールが面白かったりするのだが、まあ、いいでしょ。 ある春の日暮れ、洛陽の西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は元々金持の息子だったが財産を使いすぎたために今は惨めな生活になっていた。 杜子春はその門の下で片眼すがめの不思議な老人に出会い、大金持ちにしてもらう。しかし、杜子春は三年後また財産を使い果たし一文無しになってしまう。杜子春はまた西門の下で老人に出会い金持ちにしてもらい同じことを繰り返す。 三度目、西門の下に来た杜子春は変わっていた。金持ちになったときには友達もよってく

  • 残虐なコンテンツを子どもに見せないのは、子どもに意味がわからないため - finalventの日記

    画像・映像系のコンテンツは視覚から意味を読み解く能力がないと理解できない。 なので、キャプションとかで別途意味が書かれている。だが、そのとき、画像・映像の無意識のメッセージに対して、書かれたメッセージの意味の照合・検証といったことをする必要があるけど、それは子どもにはできない。 実際には、書かれたメッセージで洗脳するための、恐怖感情をかきたてるための画像・映像ということになりかねない。つまり、その重要さを意味で了解するのではなく、恐怖で鵜呑みにするだけ。 結局、子どもには書かれたメッセージを伝えればいいのであって、画像・映像を検証できるだけの知性を持つようになってから見ても別段遅くはない。 追記 画像・映像一般論に受け取る人がいるけど、たとえば、マレーバクの画像・映像に、「ムーミンは今日も元気」とかキャプションがあっても、別にどうということじゃないよ。そうじゃなくて、ここでのポイントは、残

    残虐なコンテンツを子どもに見せないのは、子どもに意味がわからないため - finalventの日記
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