仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
![はてなブログ | 無料ブログを作成しよう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)
私のいる広告業界の現場でよくある風景。 社内ミーティング。ある仕事で、クリエイティブが徹夜でつくった広告案を見た営業が、腕を組み、押し黙ってしまいました。重い沈黙。その沈黙を切り裂くように、営業が一言。 「なんて言うか、コピーが違うと思うんだよ。」 一通りの押し問答のあと、結局、作り直すことに決まり、それぞれが作業に。コピーライターは顔に悔しさをにじませて、ひとり作業室の中で言葉を吐き捨てます。 「何もわかってないくせに、コピーに口だすなよ。」 多かれ少なかれ、こういうことは多いと思いますが、そのときのコピーライターの心情は、こういうものだと思います。俺は言葉の専門家であるのに、言葉の専門家でもない人間があれこれ簡単にいいやがって。特に言葉は人を表すというように、言葉を否定されることは、その人を否定されるに等しいような感覚を持ってしまいがちです。 コピーライターが言葉の専門家であるというの
小学校の国語の教科書だったと思う。ある日学校行くのをさぼってみたという「ジルダンとぼく」という少年の話があった。三十年以上も前になるのだろうが強く心に残っている。ブラジルの話だったかと思う。 主人公の「ぼく」とジルダンは学校をさぼってみたらどんなに楽しいだろうと思って実践した。しかし、一日中遊んで疲れて途方に暮れ、結局、下校の同級生たちをこっそり見に行く。そして、こう思うのだった。彼らは今日もしかしたらぼくたちが一生の間に学ぶことのできない大切なことを学んだのかもしれない、と。 そんなことはあるわけないじゃんというのが常識だろう。実際、山村幸広エキサイト社長が熱心に新入社員に「時間を守る、会社を休まない」と訓辞をたれても(参照)通じるものではない。でも、たぶん、社長の言っていることも正しいし、人生には「ジルダンとぼく」的なことはあるものだ。学校とは限らないにしろ、ほんのちょっとの知恵を学ば
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く